第0018日目 [出エジプト記]
昨日はノートを中途半端に終わらせてしまったせいで、なんだかすっきりしないまま一日を過ごしました。
出エジプト記33章の続き(残り)です。
臨在の幕屋にてモーセは、主の栄光を示してください、と懇願します。
主はモーセの前で「自分は主である」と宣言し、人は自分を目にして生きていることはできない、と告げられました。
これすなわち、主の姿を見たものは生きていることを許されない、ということでしょう。
これまでにもそうした記述はありましたし(出3:6、出)、今後も増えてゆくそうです。
出33:21-23、モーセが岩のそばに立って主がそのそばを通過するとき、主は岩の裂け目にモーセを押し込め通り過ぎるまで出さない旨の記述があります。
ぼくはここを読んでなんのことか、すぐにはわからなかったのですが、何度か読み直し、ノートを整理したことでようやく意味がわかりました。
モーセに自分の姿を見せて死なせまい、とする主の心からだったのですね。と同時に、モーセとて例外ではない、というのもわかりました。
こんな理解の遅い人間が、聖書を読んで、キリスト者からみれば赤面するようなブログを書いています。
「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」(出33:19)
これはじつに簡素で良い言葉(句)だと思いました。
読書に用いているの聖書は新共同訳、旧約聖書続編が付いたものです。
これを自分一人の力で読み進められるか。いまからそんな要らぬ心配をしています。◆
出エジプト記33章の続き(残り)です。
臨在の幕屋にてモーセは、主の栄光を示してください、と懇願します。
主はモーセの前で「自分は主である」と宣言し、人は自分を目にして生きていることはできない、と告げられました。
これすなわち、主の姿を見たものは生きていることを許されない、ということでしょう。
これまでにもそうした記述はありましたし(出3:6、出)、今後も増えてゆくそうです。
出33:21-23、モーセが岩のそばに立って主がそのそばを通過するとき、主は岩の裂け目にモーセを押し込め通り過ぎるまで出さない旨の記述があります。
ぼくはここを読んでなんのことか、すぐにはわからなかったのですが、何度か読み直し、ノートを整理したことでようやく意味がわかりました。
モーセに自分の姿を見せて死なせまい、とする主の心からだったのですね。と同時に、モーセとて例外ではない、というのもわかりました。
こんな理解の遅い人間が、聖書を読んで、キリスト者からみれば赤面するようなブログを書いています。
「わたしは恵もうとする者を恵み、憐れもうとする者を憐れむ」(出33:19)
これはじつに簡素で良い言葉(句)だと思いました。
読書に用いているの聖書は新共同訳、旧約聖書続編が付いたものです。
これを自分一人の力で読み進められるか。いまからそんな要らぬ心配をしています。◆
タグ:聖書・出エジプト記