第0048日目 〈レビ記第10章:祭司ナダブとアビフの違反〉 [レビ記]

 レビ記第10章です。

 ここに至るまで民は誰しも、モーセの口を通して語りかけられた主の仰せに従い、生活をしてきました。
 しかし、ここで遂に造反者が現れます。それは、アロンの子らのなかから、すなわち祭司に任命された人物が造反を企てたのです。
 もっとも、それが明確な意図あっての行為だったのか、不明であります。

 アロンの子らであるナダブとアビフが、神の規定に反した香をささげたため、神の怒りにあって焼き殺される。
 モーセはアロンの(生き残った)子らに命じて二人の遺体を処分させる。
 モーセは主への贖罪の献げ物を探すが、それは既にどこにもなかった。聖所の外で燃やし尽くされていたのである。
 そこで、臥せっているアロンとその生き残った子らに、モーセは詰問する。


モーセ「なぜ贖罪の献げ物を聖域で食べなかったのか。(中略)あなたたちは血を聖所に持って行かなかったのだから、命じられたとおりに聖所のなかで食べるべきであった」(レビ10:17-18)
アロン「たしかにあの者たちは今日、贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物を主の御前にささげました。しかし、わたしにこのようなことが起きてしまいました。わたしが今日、贖罪の献げものを食べたとしたら、果たして主に喜ばれたでしょうか。」(レビ10:19)
「モーセはこれを聞いて納得した。」(レビ10:20)


 “わたしにこのようなことが起きてしまいました”とはもちろん、ナダブとアビフが焼き殺されてしまったことを意味します。当初、このやりとりについて、納得できません━━というよりも、理解できませんでした。
 でも、読み直してみて単純な事実に思い当たり、考えの浅さに恥ずかしくなりました。
神の意向に背いて殺されたとはいえ、アロンにとってナダブとアビフは自らの子。子供の死を悲しんで仕事がおろそかになったり、手が着かなくなってしまうのは、わたくしたちにだって覚えがあるし、想像するのは容易でしょう。
 それ故にアロンは“果たして主に喜ばれたでしょうか”と逆に問い、モーセは依り代としてでなく一人の人間として納得した。
 そういうことなのかな、と思い直し、なんとなく納得しているところであります。


 くじけそうになりかけたけれど、がんばるしかないんだな。◆

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