第0056日目 〈レビ記第17章1/2:献げ物を献げる場所〉 [レビ記]

 レビ記も最後のコーナーを回ろうかという今宵、第17章に突入いたします。
 ここから最後の第24章までは、[神聖法集]と別記されております。

 第17章は小見出しの関係で、2日に分けてノートを載せます。
 今日の箇所(17:1-9)では、献げ物をささげる場所について、規定されます。

 イスラエルの民が献げ物を屠る。その場所がどこであれ、主への献げ物としなければ、屠った者は流血の罪を犯したことになり、他の民からは断たれる(村八分にされる)。
 即ち、屠った牛、羊、山羊は臨在の幕屋の入り口まで持ってきて献げ物としなくてはならない、ということでありましょう。

 また、献げ物を臨在の幕屋へ持ってこなかった者も、同じように他の民からは断たれるのです。

 「彼らがかつて、淫行を行ったあの山羊の魔神に二度とその献げ物をささげてはならない。これは彼らが代々にわたって守るべき不変の定めである。」(レビ17:7)
 ……民が、異教の神へささげ者をしたことが以前にあったことをしさしていますが、こんな記述がかつて聖書にありましたでしょうか? 否、なかった、と記憶します。
 たしかに、かつて出エジプト記第32章に、民が偶像を作って崇めていたことがありました(それがレビ族が祭司職に就く原因ともなりました)。それとなんらかの関連があるのでしょうか。……。
 突飛で恐縮ですが、筆者はここを読んでノートを取っているとき、思わずギリシア神話や伝承に登場する、アーサー・マッケンの小説にもなった牧神(パン)を想起しました━━。

 レビ記の記述も厳しさを増してきました。
 これまで儀式の次第について割かれてきた主の言葉も、微妙な変化を見せているように思えます。嵐に立ち向かうのに似た雰囲気を醸しつつ、人の内面を質(ただ)してゆくものへと……。


 AXNで連続放送中の『CSI』シリーズ。個人的には『CSI:マイアミ』がいちばん好きです。ホレイショ・ケイン(デヴィッド・カルーソ)、カッコイイっすよね。◆

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