第0142日目 〈申命記第9章:〈かたくなな民〉〉 [申命記]

 申命記第9章です。
 註釈つきで長いですが、宜しくお付き合いください。

 申9:1-29〈かたくなな民〉
 嘗てイスラエルの民はアナクの子孫を前にしてひるみ、剣を交えぬうちから敗色ムードを漂わせていた。
 主はかく語りき、進み戦い滅ぼし勝者となれ、と。
 但し、民が勝利するのは、正義からではない。アナクの子孫があなた方の神、主に逆らう者だからである。
 「あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。(中略)あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた。」(申9:6-7)

 イスラエルの民よ、あなた方はエジプトを脱出したその日から、ホレブ(シナイ山)でも、タブエラでも、マサでも、キブロト・ハタアワでも、カデシュ・バルネアでも、ずっと主の命令に背き、時には疑い、尻ごみしてきた。
 そのたび、主は民を滅ぼそうとし、私モーセは四十日四十夜許しを乞うてひれ伏した。
 「あなたの嗣業の民を滅ぼさないでください。あなたの僕、アブラハム、イサク、ヤコブを思い起こし、この民のかたくなさと逆らいと罪に御貌を向けないでください。」(申9:26-27)
 「彼らは、あなたが大いなる力と伸ばされた御腕を持って導き出されたあなたの嗣業の民です。」(申9:29)

 神を敬う者だけが生き残る、神に反旗をひる返す者は殲滅されよ。
 こんな神/主の意志が端的に吐露された章として記憶すべきかもしれません。

 では、わたくしたちも思い出しましょう。
 タブエラは民数記第11章で言及された土地、意味は「燃える」。そこでは、肉もなければ魚もない、野菜も果物もない、主は我々を飢え死にさせる気か、という民の不満に主が怒りました。
 マサは出エジプト記第17章で言及された土地、意味は「試し」。そこでは、喉が渇いて仕方がないから主の力が本当なら飲み水を出してくれ、と民が主を疑い、試しました。なお、メリバ(争い)も同じ箇所で言及されました。イスラエルの民がカナン入植を阻まれる原因となった場所であります。
 キブロト・ハタアワはタブエラと同じく民数記第11章の、第31-34節で言及された土地、意味は「貪欲の墓」。そこでは、海から運ばれてきたウズラを民は際限なく集め食らったことに主は怒り、激しい疫病を蔓延させたのでした。故に、この地はキブロト・ハタアワ(貪欲の墓)と名付けられた、ということです。



 『椿山課長の七日間』(12ch)を観る。
 和久井映見登場の場面のみ、眼はぱっちり開けて特に見る。
 んはぁ~。むふぁあ~。
 和久井さんへのファン度(好き度)を仮に数式(これが!?)に表すなら、こんな感じか。
 おぐゆーさん>>>亡き婚約者≒和久井映見
 即ち、現実者>雲上の人、ということ。うむ、一件落着(←なにが?)。

 小説を書く。なぜ自分で自分を拘束して、首を絞めるのだろうか?
 好きというのと同じレベルで、開放感を味わいたいからだ。
 先が見えたときに味わう一種の淋しさは、では、なんなのだろう━━?◆

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