第0149日目 〈申命記第16章:〈三大祝祭日〉、〈正しい裁判〉&〈正しい礼拝〉1/2〉 [申命記]

 申命記第16章であります。

 申16:1-17〈三大祝祭日〉
 三大祝祭日とは、①過越祭、②七週祭、③仮庵祭、をいう。

 過越祭(出12:23初出)を祝え。
 聖所にて牛あるいは羊を屠って過越の生け贄とし、主へささげよ。刻は夕暮れ、エジプトを脱出した時刻である。
 酵母入りのパンは過越祭から六日間、食べることを禁ず。七日目に除酵祭を祝い、当日はどんな仕事もしてはならない。

 七週祭(出23:16初出)を祝え。
 主の祝福に応じてじゅうぶんなだけの、なおかつ、用意できる範囲内で可能なだけ多くの収穫の献げ物をささげよ。
 聖所にて家族やレビ人、寄留者、奴隷らと共に、主の祝福を喜び祝いなさい。

 仮庵祭(レビ23:24初出)を祝え。
 麦打ち場と酒ぶねからの収穫が済んだら、この祭りをして、収穫と手の業への主の祝福を、家族やレビ人、寄留者、奴隷らと共に喜び祝いなさい。

 男子は年に三回、それぞれの祭りの時に献げ物を携えて、主の前に立たなくてはならない。


 申16:18-20〈正しい裁判〉
 各部族は与えられた町で裁判官と役人を選出し、公平で正しい裁判がされるよう心掛けよ。ワイロの授受や不正の働きなど以ての外である。
 「ただ正しいことのみを追求しなさい。」(申16:20)


 申16:21-22〈正しい礼拝〉1/2
 主のために築かれた祭壇などの傍に、木や石の柱を立てるな。それは主が憎まれるものである。


 ざっと復習を。
 過越祭は、イスラエルのエジプト脱出を祝う(忘れない)祭り。主が、エジプト人の長子と家畜の初子を滅ぼす際、イスラエルの民の家の前を「過ぎ越し」たことに由来。
 七週祭は、別名「刈り入れの祭り」。過越祭から50日後、即ち七週間後、無事に小麦を刈り入れられたことを祝う祭りである。
 仮庵祭は、民が荒れ野を彷徨っているとき、天幕を張ってそこに仮庵を結び、仮住まいしたことを祝う(忘れない)祭りである。

 「だからなに?」なんていうな。



 ダラボン監督『ミスト』を観る。ラストはぁ……なるほど、そりゃ賛否両論になるわな。小説のラスト(「希望」)から改変した故に、原作者へのspecial thanks?
 とはいえ、さすがにダラボン。原作の味わいを濃厚に残している点、キング「映画」としては21世紀初の成功作ではないか。これ、好きだ。

 録画テープの整理をしていたら、偶然に和久井映見が出演した『ラジカル』と『ヘレンときよし』を発見。流しながら観る。
 はふん。たっぷり目の保養をさせていただきました。ちょいと(もとい、“かなり”)良い気分になったので、このまま寝る。
 はあ、こんな美しい人がこの世に、本当にいるんだ……。いや、でもおいら的にはおぐゆーさんの方が(……ごにょごにょ。♪ごーにょ、ごーにょ、ごにょ、うへへの子♪ ってなんじゃそれ?)。◆

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