第0168日目 〈申命記第34章:〈モーセの死〉〉 [申命記]

 申命記第34章であります。
 今日で、申命記の読書ノートは最終回です。

 申34:1-12〈モーセの死〉
 主の僕として生き、民を率いたモーセは、モアブの地にてみまかった。享年120。遺体はベト・ペオル近く、モアブの地にある谷に埋葬された。が、その正確な位置は誰も知らない。主がモーセを葬ったからである。
 民はモーセの死を30日30晩嘆き悲しみ喪に服した。後継者ヨシュアは、臨終に先立ってモーセに手を置かれ、知恵の霊に満ちていた。
 「イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの国に遣わして、ファラオとそのすべての家臣および全土に対してあらゆるしるしと奇跡を行わせるためであり、また、モーセが全イスラエルの目の前で、あらゆる力ある業とあらゆる大いなる恐るべき出来事を示すためであった。」(申34:10-12)

 モーセという一人の英雄が息を引き取って表舞台から退場したことで、旧約聖書は一つの大きな節目を迎えました。即ち、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、そして申命記、いわゆる「モーセ五書」、新約聖書では「律法」と呼ばれるパートが結ばれたわけであります。
 出エジプト記から延々と我々の前に姿を見せ、艱難辛苦の具現者でもあったモーセ。その死を迎えたこの章を、筆者は大きな感慨と共に読み終えました。
 彼のカナン入植拒否という運命を突き付けられたイスラエルの民。これから後、ヨシュア率いる一行は凄まじい鬼神ぶりを発揮して、一挙に異民の地を攻め滅ぼしてゆきます。やがて、このノートでも、次のヨシュア記から新たに始まる「歴史」のパートについてゆっくりと、蝸牛より遥かに悠然と歩んでゆく予定でおります。



 三浦しをんのエッセイに触発されて、ようやっと重い腰をあげる。S.シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)を買って、読み出して……ません、まだ。他に読む本があるんじゃぁ~。

 さて、申命記も今日で終わり。そこで、知人のアドバイスに従って、こんな叫びをしでかしてみる。
 ━━誰か、コメントくれっ!◆

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