第0188日目 〈ヨシュア記第4章:〈記念の十二の石〉with『友情』から「ハイリンゲンシュタットの遺書」へ。〉 2021/04/17改訂 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第4章です。

 ヨシュ4:1-24〈記念の十二の石〉
 主はヨシュアを通じて民に命じた。契約の箱を担ぎヨルダン川のなかにいてその流れを塞き止めているレビ人の祭司たちの許へ、各部族の代表者各1名、計12名を遣わしてそこから、それぞれ1個ずつ合計12個の石を拾わせ、今宵宿営する場所へ立てよ。
 それらの石の意味を、謂われを知らぬ子供たちへこう伝えて教えよ。「ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダンの流れはせき止められた。これらの石は永久にイスラエルの人々の記念となる。」(ヨシュ4:7)

 主はヨシュアを通してレビ人の祭司たちへ命じた。ヨルダン川から上がって来よ、と。すると塞き止められていた川の水は奔流となって、元のように堤を越えんばかりに流れ始めたのである。
 これは葦の海、即ち現在の紅海が割れてエジプトを脱出したのと同様に、主の御業である。

 その夜、民はエリコの東方、ギルガルに宿営し、件の12の石を立てた。これらの石の意味を、謂われを知らぬ子供たちへこう伝えて教えよ。「子供たちに、イスラエルはヨルダン川の乾いたところを渡ったのだと教えねばならない。あなたたちの神、主はあなたたちが渡りきるまで、あなたたちのためにヨルダン川の水を涸らしてくださった。(中略)それは、地上の全ての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである。」(ヨシュ4:2-24)


 第3章と対を成す、エリコ侵攻に伴って主が起こした奇跡を語る、後半に当たる部分であります。
 自分の拙い経験から申し上げれば、ヨシュア記第3章から第5章までは途切れることなく読んでしまった方が、理解もできましょうし覚えてもいられましょう、それに、物語としてもその方が楽しめます。




 武者小路実篤の代表作『友情』の結びの一文はこうである。
 「自分は淋しさをやっとたえて来た。今後なお耐えなければならないのか、まったく一人で。君よ助けたまえ。」
 一字だけアレンジさせて頂いた。興味ある向きは書店にて確かめられよ。
 また、ベートーヴェンの「ハイリンゲンシュタットの遺書」に斯くある。
 「この憧れていた希望━━すくなくともある程度までは、よくなるという望みを抱いてここまで来たのに━━その希望は、今やまったく私を見捨ててしまうに違いない。(中略)われに喜びの清い一日をいちどお与え下さい。(中略)だめですか━━おおそれはあまりにひどすぎる。」
 諸井三郎の著書『ベートーベン』(新潮文庫)より引用した。
 私はいつだってあなたの前に膝を折って額(ぬか)ずこう。◆

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