第0191日目 〈ヨシュア記第7章:〈アカンの罪〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第7章です。

 ヨシュ7:1-26〈アカンの罪〉
 エリコ近郊にアコルと呼ばれる谷がある。アコルとは「主によってもたらされる災い(アカル)」という意味であった。
 その谷がアコルの谷と呼ばれるようになったのは、次のような謂からである。

 ペテルの東、ベト・アベン近くにあるアイの町の攻略は失敗に終わった。ヨシュアは、これが祟って、却ってイスラエルが滅亡するやもしれぬ、なぜこんなことになってしまったのか、と主へ訴えた。すると、主の曰く、━━
 エリコ攻めの折、滅ぼし尽くすべきものはすべて主へささげ(ヨシュ6:17)、それを欲しがったり掠め取ったりしないようにせよ(ヨシュ6:18)、とわたし、あなた方の神である神、主は命じた。その命令に、ユダ族はゼラ氏族、ザブディ家のカルミの子アカンが背き、ささげられるべき滅ぼし尽くすものの一部を隠匿していたのが発覚した。
 ヨシュアは隠匿物を差し押さえて焼き、アカンとその家族を石で打ち殺した。これがアコルの谷での出来事であった。彼らを埋めた塚は、今日でもそこにある。
 こうして主の怒りは収まったのだった。

 「イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきものに対して不誠実であった。」(ヨシュ7:1)
 「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。」(ヨシュ7:10)

 一にして全、全にして一。この均衡が崩れたときが主への背反であり、凄まじい怒りが民の上に落ちる。
 創世記以来たびたび目にしてきた光景であり、思想━━主は自らの民、イスラエルを純潔の民として他とは明確に区別する、という強固な意志のゆえに斯くも無慈悲であり続けてるのか、ふとそう思うのであります。



 ぽっくら、ぽっくら帰宅して最初にしたことは、長く生気の失せた溜め息をつくことであった。なんともgood grief(やつてられんわ)な気分に支配された一日であったのだ、とのみいまは語る。
 なんともやりきれんので、明日は昼から一見さんお断りの店に籠もり、手酌で一杯きこしめそう。これって淋しいことだが、無カノジョだからできることなんだよな……。
 おぐゆーさんがカノジョだったら? そんな……てへ、てへ。━━以上、妄想収監。◆

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