第0192日目 〈ヨシュア記第8章:〈アイの滅亡〉&〈エバル山での律法の朗読〉、今年のLFJに向けて。〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第8章です。

 ヨシュ8:1-29〈アイの滅亡〉
 エリコに続きアイの町を、イスラエルの民は攻めて滅ぼした。それは下のようにして為された。
 ヨシュアは三万の兵を選りすぐり、アイの町の後方へ、伏兵として夜に配した。
 彼らはヨシュア率いる軍勢がアイへ接近し、敵をおびき出して町から引き離したら、守備なきアイを攻め滅ぼして煙をあげ、敵勢を背後から討って挟み打ちにし、これを亡き者とする。
 斯様にして陥落したアイの町の分捕り品と家畜は我らのものである。
 アイの町は久遠の廃墟と化して捨て置かれ、王は吊し首とされた。「アイの王を木にかけて夕方までさらし、太陽の沈むころ、命じてその死体を木から下ろさせ」(ヨシュ8:29)た。これは、申21:23などの実行であった。

 ヨシュ8:30-35〈エバル山での律法の朗読〉
 ヨシュアは、嘗てモーセが申27:1-26で命じたように、ヨルダン川を渡りカナンの地へ入ったらば、教えたように祭壇を築き律法を石へ刻み、神の祝福と呪いの言葉(申28:1-68)、そうして律法の言葉を、エバル山とゲリジム山へそれぞれ民を立たせて、すべてのイスラエルの民の前で朗読したのであった。

 ヨシュア記は前半のカナン侵略、後半の土地配分に分けられますが、この章は前半のクライマックス的位置づけをできる箇所。加えて、侵略が一区切りしたことを示す章でもあります。ゆえに律法が朗読され、神の祝福と呪いと律法の朗読が、満を持して行われたのでありました。



 知己の男と約5時間ほど対談。テーマは「バッハ」。むろん、今年のラ・フォル・ジュルネに合わせたのである。媒体は某CDショップのフリー・マガジンだが、掲載は危うい方向へ。事情は省く。
 初めてコンサートで聴いたバッハはBWV243 《マニフィカト》、次いでBWV244《マタイ受難曲》、BWV245《ヨハネ受難曲》。《マタイ》は二種のヴァージョンで聴いた。マタイ研究会管弦楽団・合唱団の演奏は未だ最高水準だね、という話を経て井方景紀氏のシューマンのLPに飛び、戻ってカンタータと賛美歌、詩篇の関係、シュヴァイツァーとバルヒャ、リヒター、グールド、カザルス、コーガン、メンゲルベルクのバッハ演奏について放談し、昨今のCD事情へ話題を移し、最後は個人的に偏愛するバッハ作品を挙げてお開き。
 わたくしが挙げたのは、前述の3作品に加えて以下のようになった。個人的備忘録を兼ねて列記します。考えすぎると、却って無難なセレクションになるという見本になりましょう。
 ・BWV1041ヴァイオリン協奏曲第1番
 ・BWV846-869《平均率クラヴィーア曲集》第一巻
 ・BWV870-893《平均率クラヴィーア曲集》第二巻
 ・BWV988《ゴルドベルク変奏曲》
 ・BWV578《フーガ》ト短調(小フーガ)
カンタータからは悩みに悩んで結局無難に、
 ・BWV140《目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声》
 ・BWV147《心と口と行いと生活もて》
 ・BWV202《消えよ、悲しみの声》(結婚カンタータ)
 ・BWV208《楽しき狩こそ我が悦び》(狩りのカンタータ)
 ・BWV211《お静かに、お喋りせず》(コーヒー・カンタータ)
 ・BWV212《われらの新しいご領主様に》(農民カンタータ)
の6曲を。こんな事せずとも、バッハの声楽曲と鍵盤曲はすべて聴いていたいのだ━━。
 で、問題はこの対談が終わったあとに起こったのだが、まぁ、語るのは止めておきましょう。互いの名誉のために。◆

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