第0193日目 〈ヨシュア記第9章:〈ギブオン人の征服〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第9章です。

 ヨシュ9:1-27〈ギブオン人の征服〉
 主が率いるイスラエルの民の軍は、エリコとアイを滅ぼして猶進撃の歩を休めなかった。これを、「ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノン山のふもとに至る大海の沿岸地方に住むヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちは」(ヨシュ9:1)団結して迎え撃とうと決め、準備を始めた。
 だがヒビ人、ギブオンの住民は主のイスラエルの民の軍の強力なのを知って、身をやつし素性を隠してヨシュアの許へ亡命した。ヨシュアは彼らがこれから討つ土地の先住民であるのを知らない。ヨシュアはギブオンの住民と講和を結び、命を守る誓いを、民の長老たちと誓った。
 その三日後、ギブオンの住民たちの素性がばれた。ヨシュアは彼らを詰問した。ギブオンの住民たちが答えて曰く、━━「あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました。ご覧ください。わたしたちは今はあなたたちの手の中にあります。あなたが良いとみなし、正しいと見なされることをなさってください。」(ヨシュ9:24-25)
 斯くしてヨシュアはギブオンの住人を受け容れ、共同体の奴隷として使役した。

 ヨシュ2に於いて遊女ラハブが、主が守りヨシュアが率いるイスラエルの民の力に恐れ、心くじけ、命を失うことを恐れたがゆえに、斥候二人に命乞いをしました。本章ヨシュ9に於けるギブオンの住民たちも、ラハブとまったく同じ気持ちから主の軍に服従する道を選び、自分たちの命の存続を図ります。
 記述があるからラバンとギブオン住民が目立ちますけれど、実際にはもっと多くの亡命者(投降者)がいて、イスラエルへ従属した者がいたのではないか、と思います━━真っ当に考えれば、そうなるでしょう。
 また、読んでいてこの章が、カナン侵攻の正当性を後世に信じさせるために生まれ、差し挟まれた挿話のような感じも抱きました……特に根拠あっての論ではなく、あくまで直感でありますが。我が国の『古事記』や『日本書紀』(六国史の他の史書には、さすがにこんな形跡は見当たりませんが)が同様の作業を経て今日見るような形になったことを思えば、民族のルーツを著す書物になべて斯様な作業が成された、と考えるのは、決して乱暴な、そして、故なきことではありません。



 ラジオ・ドラマの入稿がGW開けになった。GWも働けってか。合点だ。任せておけ。
 で、妄想/希望/願望のお時間が始まる。
 おぐゆーさんがLFJの差し入れに一緒に行こうよ、と誘ってきたら? そりゃもちろん、行きますよ。例え電車が人身事故で停まったって、交通事故で病院へかつぎ込まれたって、おいらは行く。その様、足が地に着いていないでしょうナ。はい。◆

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