第0207日目 〈ヨシュア記第23章:〈ヨシュアの告別の言葉〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第23章です。

 ヨシュ23:1-16〈ヨシュアの告別の言葉〉
 さらに歳月が流れてもはやヨシュアも老い、すべての者が行く所へ向かう心づもりでいた。
 彼はすべてのイスラエルの民を集めてこういった、━━
 主は約束されたようにヨルダン川一帯から大海へ至る約束の地を、占領した場所もそうでない場所も含めて、我らへ与えてくださった。そこにはむろん、未だ占領せざる国の民もいるが、やがては追い払われるであろう。
 神、主を堅く信じ、モーセが残した教えの書(契約の書)にあることを守って生きよ。
 しかし、忘れるな。主は我らのこの地を与えると約束して、それを守った。だが、こうもいったのだ、異神を崇め、異民と交わり、異国の風習に染まるなかれ━━背いてこれらを行えば、たちまち主の怒りはイスラエルの上に落ちて、この約束の地から根絶する、と。
 だから心を強くし、主を敬い忠実に仕え、律法を守ってとく生きよ。
 そうヨシュアはこのときいった。
 「あなたたちは心を尽くし、魂を尽くしてわきまえ知らねばならない。」(ヨシュ23:14)


 <私(主)は約束を守った。だからあなたたちも私との約束(契約)を守りなさい>
 とどのつまり、神、主のいいたいことはこれです。
 それゆえに、<守る者には祝福と繁栄を。守らぬ者(裏切り者)には怒りが落ちて彼らは滅びる>なる結果がついて回るのです。
 前にも書きましたが、このあたり、無慈悲と取るか公正明大と取るか、受け手によって大きく変わって参りましょう。
 
 申命記同様、ヨシュア記も預言者の告別の言葉(申33,ヨシュ23)と彼の死(申34,ヨシュ24)を以て巻を閉じます。ゆえにこれを含めて「モーセ六書」と呼ばれる場合もある由。読めば納得の説であります。



 新宿の街は、もの悲しい美しさに充ちみちている。それを彩るのは脆くて儚い仰視できない想いである。
 「たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかった」(F.スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』村上春樹訳 P290-291 中央公論新社)◆

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