第0284日目 〈サムエル記上第15章:〈アマレク人との戦い〉〉 [サムエル記・上]

 サムエル記上第15章です。
 【サムエルとサウルの最終的対立が主眼に置かれた章であり、両者がいかにして袂を分かつことになったかが語られる章である。】

 サム上15:1-35〈アマレク人との戦い〉
 「アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも打ち殺せ。容赦してはならない。」(サム上15:3)
 これはサムエルを通じて主がサウルへ命じた、(かつてのエリコ[ヨシュ6]やアイ[ヨシュ7-8]に対すると同様)“聖戦”の命令である。
 サウルは21万(うち1万はユダ)の兵を率いてアマレク人の町を襲った。なお事前にそこに住むカイン人たちを避難させた。カイン人はエロトを介してモーセと縁戚にあり、イスラエルとは同盟関係にあったからである(出3:1、民10:29-32、士1:16)。
 サウルが襲ったのはハビラからエジプト国境シェルの荒れ野にあるアマレク人の町。が、彼は主の命令に背き、アマレク人の王アガグと最上の牛と羊、初子ではない肥えた動物など上等のものには手を掛けず、そのまま捕らえた。他は滅ぼした。
 ━━主はサムエルにいった、わたしはわたしに従わないサウルを王に立てたことを悔やむ、と。サムエルは一晩中主に祈り、翌朝早くサウルを訪ねた。が、彼は不在であった。王はカルメルに戦勝碑を立てたあと、ギルガルへ下る由。サムエルはサウルを追った。

 やって来たサムエルに、サウルはいった、「わたしは主の御命令を果たしました」(サム上15:13)と。それから弁明した、動物は最上のものを生かして捕らえた、なぜなら主への献げ物とするからです、と。
 それについてサムエルは疑を呈した。
 「主が喜ばれるのは
  焼き尽くす献げ物やいけにえであろうか。
  むしろ、主の御声に従うことではないか。」(サム上15:22)
 「わたしは、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました。どうぞ今、わたしの罪を赦し、わたしと一緒に帰ってください。わたしは主を礼拝します。」(サム上15:24-25)
 否を突きつけて踵を返したサムエルに、サウルはすがりついて懇願した。が、サムエルの意志は変わらなかった。サムエルはいった、━━
 「今日、主はイスラエルの王国をあなたから取り上げ、あなたより優れた隣人にお与えになる。イスラエルの栄光である神は、偽ったり気が変わったりすることのない方だ。この方は人間のように気が変わることはない。」(サム上15:28-29 参考;「主の御言葉を退けたあなたは/王位から退けられる。」サム上15:23)
 結局、イスラエルの長老と民の手前、サムエルはサウルと共に帰った。
 サウルは主を礼拝した。
 アマレクの王アガグはサムエルによって、主の御前にて処刑された。
 サムエルとサウルはそれぞれの家、ラマとギブアの自分の家に帰っていった。
 「サムエルは死ぬ日まで、再びサウルに会おうとせず、サウルのことを嘆いた。主はサウルを、イスラエルの王として立てたことを悔いられた。」(サム上15:35)

 サウルのエピソードには、これまでも影が重く垂れこめておりましたが、ここに至って一段と濃さを増し、悲劇性が加えられた感があります。
 サムエルも主も、サウルを王としたこととその後のふるまいを嘆き、悔いた、と「サムエル記上」は記します。が、サウルも同様に、王としての責務に苦しんでいたことでしょう。
 能力のキャパシティを越えた仕事が目の前に山積され、過剰な期待とあまりに強い主の意向を押しつけられて、なおも王としての職能を果たそうともがき続けたのが、イスラエルの初代王サウルであった、とさんさんかは考えます。
 サウルはサウルなりに、自分にとってよいと思われることをやった。それが主と預言者の意にそぐわぬ結果をもたらしてしまっただけなのです。
 そういう視点を持つと、サウルの諸エピソードは前例なき一代目の苦労談と読むことができる、と(浅はかながら)思います。過剰な期待を負わされたサウルの心痛も顧みよ、というところでしょうか。



 どこへ出掛ける気にもなれぬ今日は、夕飯の支度を始めるまでセリーヌの『夜の果てへの旅』(中公文庫)を読み直していました。バルダミュ……。◆

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