第0289日目 〈サムエル記上第19章:〈ダビデの逃亡〉〉 [サムエル記・上]

 サムエル記上第19章です。

 サム上19:1-24〈ダビデの逃亡〉
 サウルはダビデを殺そうと画策した。ダビデをかばう者は二人いた。一人はサウルの息子ヨナタン、もう一人はサウルの娘ダビデの妻ミカルであった。
 ヨナタンはダビデを深く愛していた。サム上18:1に曰く、「ヨナタンの魂はダビデの魂と結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した」と。ゆえにヨナタンはダビデをかばい、父王サウルにいった、ダビデがあのペリシテ人ゴリアトを負かしたからこそ主はイスラエルを勝利に導いたのです、それを父王も喜ばれたではないですか、と。続けて、━━
 「なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか。」(サム上19:5)
 サウルは答えた、主は生きておられる、わたしはダビデを殺さない、と。
 斯くしてダビデは再びサウルに仕え、ペリシテ人との度重なる戦に出陣して勝利を手にし続けた。ペリシテ人はダビデ来たると知るや、恐れて逃げるようになった。
 サウルとダビデの間は一時的ながら和解の時間(とき)が保たれていたが、あるとき、主の悪霊が激しくサウルに降った。彼は館にいて、ダビデは傍らで竪琴を弾いていた。王はダビデを壁に突き飛ばし、手にしていた槍で突き刺そうとしたが、ダビデはそれを避(よ)けてすたこらさっさと逃げた。
 サウルはダビデ殺害を諦めなかった。彼の家に見張りを送った。その夜、妻ミカルは父の意図を見抜いて夫を逃がした。翌る日、それを知ったサウルはミカルを詰問した。なぜ私を欺きダビデを逃がしたのか、と。ミカルは、俺をいま逃がさなければお前を殺すと脅されたのです、と嘘をついた。そうしなければならない程、サウルのダビデへの敵意は頑なになっていたのである。
 さて、ダビデは、ラマのナヨト(「住まい」や「天幕」の意味。預言者たちが共同生活を営んでいた)にいるサムエルの許へ避難していた。それを知るや王は使者を送ったが、三度送って三度とも使者は預言状態に陥って、使い物にならなくなった。遂にサウルが自らラマへ乗りこんだが、サウルもまた同様に預言状態になり、裸のまま、一昼夜サムエルの前で倒れていた。
 人々はそれを見て、いった。「サウルもまた預言者の仲間か。」(サム上19:24)

 サム上10では特に触れなかったので、いまここで。
 預言状態とは、宗教儀式の執行中に於ける恍惚状態(マッケン風にいうならば法悦(エクスタシー)状態)に陥って、主からの預言を授かる間トリップしている状態をいいます。
 サム上19でサウルの使者が預言状態に陥った状況はこうです━━「彼らは預言者の一団が預言しているのに出会った。サムエルがその先頭に立っていた。神の霊はサウルの使者の上にも降り、彼らも預言する状態になった。」(サム上19:20)
 預言者集団は預言中は一種の〈磁場(フィールド)〉を周囲に発生させており、その範囲内に足を踏み入れると被預言者も法悦状態になる(「感染する」と表現してもいいかもしれません)。フィクションめいたお話ですが、煎じ詰めればこんな説明がつけられようか、と考えております。預言者サムエルが集団の先頭にいた、というのも、典拠の一つになりましょう。
 また、預言ついでに人々の言葉、「サウルもまた預言者の仲間か」についていえば、同じ台詞がサム上10:11に出てきます。が、あの当時、油を注がれていたと雖もサウルは王に選ばれる前でした。ゆえにそこでの台詞は、一種の畏怖でありました。ですが、サム上19では違います。ここでは或る種の皮肉と取った方が素直であるかと思います。
 ━━BL好きはヨナタンとダビデのエピソード(サム上21など)を読んで、どんなイメージ(別名;妄想)を湧かせるのか。知りたいような知りたくないような……であります。



 あの窓の向こうには、望んでも得られぬ世界が存在している。◆

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