第0290日目 〈サムエル記上第20章:〈ダビデとヨナタン〉〉 [サムエル記・上]

 サムエル記上第20章です。

 サム上20:1-42〈ダビデとヨナタン〉
 ラマから逃げ帰ったダビデは、ヨナタンに会った。━━なぜ王は私を殺そうとするのでしょうか、この僕(しもべ)が果たしてなんの罪を犯したというのでしょう、とダビデは訴えた。あなたが「否」というのは、王があなたを苦しませたくない、と配慮しているが為です、とも。
 また、ダビデはこう懇願した。「明日は新月祭で、王と一緒に食事をしなければならない日です。あなたが逃がしてくだされば、三日目の夕方まで野原に隠れています。そのとき、お父上がわたしの不在に気づかれたなら、『ダビデは、自分の町ベツレヘムへ急いで帰ることを許してください、一族全体のために年ごとのいけにえをささげなければなりません、と頼み込んでいました』と答えてください。王が、『よろしい』と言われるなら、僕は無事ですが、ひどく立腹されるなら、危害を加える決心をしておられると思ってください。あなたは主の御前で僕と契約を結んでくださったのですから、僕に慈しみを示してください。もし、わたしに罪があるなら、あなた御自身わたしを殺してください。お父上のもとに引いて行くには及びません。」(サム上20:5-8)
 ヨナタンはダビデを連れて野原へ行(ゆ)き、算段を整えた。そうして、ヨナタンはこういった。明後日(新月祭の2日目)、王にあなたのことを告げたらここへ来て、3本の矢を放とう。それを従者に取りにやらせる。「矢はお前の手前にある」と私が従者にいったらあなたは出て来なさい。無事である。が、「矢はもっと向こうではないか」と従者にいったら、あなたは危ない。逃げよ。ヨナタンはそういった。
 「私とあなたが取り決めたこの事については、主がとこしえにわたしとあなたの間におられる。」(サム上20:23)
 ……新月祭の2日目、ダビデ不在を訝しんだサウルはヨナタンの言葉を聞き、激怒してダビデ拿捕を命じた。曰く、━━
 「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。エッサイの子がこの地上に生きている限り、お前もお前の王権も確かではないのだ。すぐに人をやってダビデを捕らえて来させよ。彼は死なねばならない。」(サム上20:30-31)
 翌日、従者を連れてヨナタンは野原へ出掛けた。3本の矢を放った。従者を取りに行かせて、ヨナタンはいった、矢はもっと向こうではないか、と。
 ヨナタンは、矢を見附けた従者を先に帰らせた。ダビデが野原の南側から出て来て大地にひれ伏し、3度礼をした。彼らは口づけを交わし、抱き合った。ダビデは激しく泣いていた。
 「ヨナタンは言った。『安らかに行ってくれ。わたしとあなたの間にも、わたしの子孫とあなたの子孫にも、主がとこしえにおられる、と主の御名によって誓い合ったのだから。』」(サム上20:42)

 新月祭とは、民28:11-15に既出のお祭りであります(民28〈一日の献げ物〉)。毎月1日にささげるべき焼き尽くす献げ物と穀物の献げ物、ぶどう酒の献げ物が規定されております。これは古代イスラエルにとって重要なお祭りであった、といいます。
 本章は後朝の別れにも似た後ろ髪引かれる挿話が重みを加えています。ヨナタンとダビデという、主の御名によって契約した2人が、一方の親の私情によって引き裂かれる……恋愛物語の王道にして根本といってなんの躊躇(ためら)いがあるでしょう。同性と雖もここまで昇華されると却って美しい挿話とはいえませんか?



 昨日はずいぶん久しぶりな人たちと、有楽町で飲みました。どうやらあの人は都内某所にて、元気で仕事をしているらしい。よかった。息災がなにより。
 近い将来、またあの人に逢える機会があるといいなぁ……。そうしたら、いまのぼくをみてもらえるのに。
 ぼくは傍観者、観察者になって、くだらない小説ばっかり書き続けようと思う。
 あの人の面影を大切に仕舞いこんで、生涯見果てぬ夢を書き綴ろうと思う。
 できるかどうかわからないけど。仕舞うことなくいつも眼前に見られればそれに優る歓びはないのだけれど。
 Come on up for the rising,
 Come on up, lay your hands mine.◆

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