第0319日目 〈サムエル記下第6章:〈神の箱をエルサレムへ運び上げる〉〉  [サムエル記・下]

 サムエル記下第6章です。

 サム下6:1-23〈神の箱をエルサレムへ運び上げる〉
 ペリシテ軍との戦いの後、ダビデは30,000の精鋭を率いて、バアレ・ユダからキルヤト・エアリム近郊へ移動した。丘の上に安置されている神の箱、契約の箱をエルサレムへ運びあげるためである。丘の上のアビナダブの家から、アビナダブの息子ウザとアフヨがそれに同道した(既にエルアザルは没したか。 サム上7:1)。
 喜びの道程はナコンの打ち場で一転した。神の箱を載せた荷台を運ぶ牛がよろめき、とっさの判断でウザが神の箱を押さえたのである。主の怒りがウザに降った。その過失ゆえに━━レビ16:2と民4:15で規定された、資格なき者は神の箱に触れるなかれ触れれば死ぬ、という条に背いたからである。その地はペレツ・ウザ(ウザを砕く)と呼ばれて今日まである。
 ダビデは主に怒り、主を恐れた。神の箱をエルサレムへ運びあげることをやめた。そこで、ガト人オベド・エドムの家に3ヶ月安置された。主は彼と彼の家を祝福した。ダビデはそれを知るとオベド・エドムの家に行って、これを喜び祝い、神の箱をエルサレムへ運びあげることにした。
 民は喜び、楽を奏して祝った。ダビデはエフォドのみを纏って主の御前で跳ね踊った。それを見たサウルの娘ミカルは王を蔑んだ。
 天幕のなかに神の箱を安置して、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげると、民はそれぞれの家に帰り、ダビデも自分の家の者を祝福するために帰った。
 ミカルはいった、「今日のイスラエル王は御立派でした。家臣のはしためたちの前で裸になられたのですから。」(サム下6:20)
 ダビデは首肯して、いった、「(主は他の誰でもなく)このわたしを選んで、主の民イスラエルの指導者として立ててくださった主の御前で、その主の御前でわたしは踊ったのだ。わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。しかし、お前の言うはしためたちからは、敬われるだろう。」(サム下6:21-22)
 生涯、ダビデ王妃ミカルは王の子を懐妊することはなかった。

 神の箱、契約の箱はあれから20年以上もキルヤト・エアリム近郊の丘の上にあるアビナダブの家に置かれていました。
 まだサムエルがイスラエルを指導し、サウル王も歴史の表舞台に現れていない時代から、北王国イスラエルと南王国ユダがダビデ王の下に統一される時代に至るまで、神の箱はそこで静かに置かれていたのでした。それがいよいよエルサレムへ移される、という場面を描いたのが、本章です。
 また、後半で明らかになるように、ダビデ王とミカルの仲は冷え切っているのがわかります。この時点でミカルは、王妃でありながら王妃にあらざる者、妻ではあるが母ではない、ダビデによって王妃の職務を十全には果たし得ぬ存在になってしまった、といえるでしょう。哀れであります。



 『フレフレ少女』(2008日 監督;渡辺謙作 脚本;橋本裕志[原作;よしづきくみち] 出演;新垣結衣、永山絢斗他)を観ました(テレビ朝日 21:00-22:54)。
 予告だけでもうじゅうぶん観たつもりになっていた一本、こうしてちゃんと観てよかったと思った一本。むろんメッセージだってあるけれど、いやぁ、理屈抜きで楽しめる映画はいいもんだね。キャスト・スタッフ共にみんな良い仕事をしております。ちなみに先日レンタル店で借りるか否かで悩んだ一本。
 ついでにいうと、昼間は借りてきた『ミス・ポター』Miss Potter(2006英 監督;クリス・ヌーナン 脚本;リチャード・モルトビー・Jr 出演;レニー・ゼルウィガー、ユアン・マクレガー他)を観ておりました。美しく、手堅い質の良さでは折り紙付きの一作。湖水地方の光景に思わず懐かしさを覚えました。またピーター・ラビット読もうかな。◆

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