第0323日目 〈サムエル記下第10章:〈アンモン、アラムとの戦い〉〉 [サムエル記・下]

 サムエル記下第10章です。

 サム下10:1-19〈アンモン、アラムとの戦い〉
 アンモン人の王ナハシュが崩御し、新たにハヌンが即位した。ダビデは「ナハムがわたしに忠実であったのだから、わたしもハヌンに忠実であるべきだ」と考え、哀悼の使節団を送った。が、アンモン人の高官たちはダビデの義を曲げて、主君ハヌンへ報告した。スパイと思うたのである。アンモン人はダビデの使節団を捕らえた。彼らの髭を半分切り落とし、衣服の腰から下を切り落とした。這々の体で帰着する使節団にダビデは、エリコに一旦とどまって髭が生えそろってから帰還せよ、と命じた。
 アンモン人はダビデの怒りを、憎しみを買った、と悟った。そこでベト・レホブとツォバの地にいるアラム人20,000人を歩兵として雇い入れた。また、マアカの王に1,000人、トブに12,000人を要請した。迎え撃つダビデは、ヨアブ以下の全軍を繰り出した。
 アンモン人側は二重に陣を敷いた。ヨアブ率いるイスラエル軍も精鋭を選び抜いて戦列を整えた。ヨアブはいった、━━
 「我らの民のため、我らの神の町々のため、雄々しく戦おう。主が良いと思われることを行ってくださるように。」(サム下10:12)
 イスラエルを前にしてアラム軍もアンモン軍もたちまち逃げた。イスラエル軍はエルサレムに帰還した。
 アンモン人は団結して、再び戦の準備を整えた。ハダドエゼルはユーフラテスの向こうにいるアラム軍を出動させた。軍司令ショバクに率いられて、彼らはヘラムの地に着いた。それを知ったダビデもイスラエルの全軍を、ヨルダン渡河してヘラムの地へ向かわせた。
 両軍は激突した。アラム軍は敗走した。戦車兵700,騎兵40,000とショバク司令がイスラエルによって討たれた。
 「ハダドエゼルに隷属していた王たちは皆、イスラエルに敗北したことを認めて和を請い、イスラエルに隷属した。アラム人は恐れて、二度とアンモン人を支援しなかった。」(サム下10:19)

 ハダドエゼルはツォバの王、サム下8:3に登場します。ユーフラテスに勢力を回復しようとしたときダビデに討たれた、とあります。「ユーフラテスの向こう」とはかつての自分の所領であり、その地に住まっていたアラム人を動かすのは道理でありました。また、ハマトの王トイが折しも交戦中のハダドエゼルの軍勢がダビデに滅ぼされた、と聞いて、その安否(というよりも真偽)をダビデに訊ねています(サム下8:9-10)。
 そう考えると、サム下8とサム下10の間には若干の時間錯誤が発生しているように感じます。こんなあたりの重箱の隅を突くような矛盾の発見とそれについて自分なりの考察を加えるのが、歴史書を読む楽しみの一つであろう、と信じて疑いません。



 同窓会のチラシと三田会の準備していたら更新遅くなっちゃった……。mixiでのんびりCSIコミュ巡回しまくっていたのも敗因(!?)かなぁ。◆

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