第0368日目 〈列王記上第2章:〈ダビデ王の最期〉、〈王位をうかがう者のその後〉〉 [列王記・上]

 列王記上第2章です。

 王上2:1-11〈ダビデ王の最期〉
 ダビデ王は崩御した。在位は40年に渡った。
 臨終の直前、ダビデはソロモン王にいい残した。ダビデは斯く戒めた。私はこの世のすべての者がたどる道を行こうとしている、と前置きし。
 「あなたは勇ましく雄々しくあれ。あなたの神、主の務めを守ってその道を歩み、モーセの律法に記されているとおり、主の掟と戒めと法と定めを守れ。そうすれば、あなたは何を行っても、どこに向かっても良い成果を上げることができる。また主は、わたしについて告げてくださったこと、『あなたの子孫が自分の歩む道に留意し、まことをもって、心を尽くし、魂を尽くしてわたしの道を歩むなら、イスラエルの王座につく者が断たれることはない』という約束を守ってくださるであろう。」(王上2:3-4)
 また、こうもいい残した。ツェルヤの子ヨアブとゲラの子シムイ(バフリム出身のベニヤミン人)の犯した罪を、ソロモン王よ、あなたは不問に処してはならない。自分の知恵に従って、彼らを血に染めて陰府(よみ)へ送りこめ、と。
 但し、ギレアド人バルジライの息子たちは大切にせよ。慈しみ深くし、共に食卓へ連なる者とせよ。なぜならば、アブサロムから逃れていた私を助けてくれたからだ、と。
 ダビデ王は崩御した。在位40年のうち、ヘブロンで7年、エルサレムで33年を、王として過ごした。

 王上2:12-46〈王位をうかがう者のその後〉
 ソロモン王の御代が始まった。が、その王位を狙うとされた者が3人あった。前王ダビデとハギトの間に生まれたアドニヤ、ツェルヤの子将軍ヨアブ、サウル王家の出身であるベニヤミン人シムイである。
 結果を先にいえば、アドニヤ、ヨアブ、シムイは自らの軽率により命を墜とした。
 アドニヤはこのようにして死んだ。民意も王位も失った者のために、母よ、弟ソロモンにこう頼んでほしい、とアドニヤはハギトにいった。最晩年の父ダビデに侍って身の回りの世話をし、ダビデが遂にその体を知ることがなかったシュネム出身の女アビシャクを私の妻にさせてほしい、と。ハギトは諾い、ソロモン王へ伝えた。王はいった、━━
 「アドニヤがこのような要求をしてもなお生きているなら、神が幾重にもわたしを罰してくださるように。(中略)アドニヤは今日死なねばならない。」(王上2:23-24)
 こうしてアドニヤは死んだ。
 ヨアブはこのようにして死んだ。祭司アビアタルが祭司の職を解かれた。これを聞いてツェルヤの子ヨアブは主の天幕に逃げこみ、祭壇の角(つの)を摑んだ。ヨアブは降伏、投降を促されたが、それは拒否して、ならば死ぬ、といった。王は「彼の言うとおりにせよ。彼を打ち殺して地に葬れ」(王上2:31)と命じた。なんとなればヨアブは善良なるアブネルとアマサを剣にかけて殺したゆえに。
 こうしてヨアブは死んだ。アビアタルの後任祭司はツァドク、ヨアブの後任将軍はヨヤダの子ベナヤである。
 シムイはこのようにして死んだ。ソロモン王の命に従ってエルサレムのなかに家を建て住まい、町を決して出ないと誓ったシムイ。が或る日、シムイの家の僕(しもべ)2人がエルサレムを脱してガト領アキシュへ逃げこんだ。シムイはこれを追い、エルサレムへ帰還した。ソロモン王はこれを知ると、誓いを破った罰としてシムイを打たせた。
 こうしてシムイは死んだ。
 「こうして王国はソロモンの手によって揺るぎないものとなった。」(王上2:46)

 王位簒奪をうかがう可能性のある3人を結果的にソロモン王は排除しました。理由や発端がどうにも陰謀めいて映るのは、ここに至るまでの歴史の叙述による擦りこみ効果かもしれません……。
 これで王国は安泰になったかに見えますが、火種はまだまだ別の所にあるようです。もっと先へ進めば、それを確認することができるでしょう。



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