第0374日目 〈列王記上第8章:〈契約の箱の安置とソロモンの祈り〉〉 [列王記・上]

 列王記上第8章です。

 王上8:1-66〈契約の箱の安置とソロモンの祈り〉
 待望の神殿が完成した。ソロモン王はエルサレムの自分の許へ、イスラエルの長老たち、全族部長、イスラエル諸家系の首長を召集した。“ダビデの町”シオンに坐す主の契約の箱を神殿へ移すためである。それは祭司たるレビ人がかつぎ、至聖所に置かれる。契約の箱だけでなく、臨在の幕屋、聖なる祭具もまたエルサレムに移された。それはエタニムの月、つまり第七の月の終わりのことであった。
 エルサレムへ入った契約の箱は神殿の内陣、至聖所へ運ばれ、一対のケルビムの翼の下に安置された。契約のはこのなかにあるのは割れた一枚の石版、即ち、ホレブ(シナイ山)で預言者モーセが納めた、十戒を刻んだ石版のみ。今日も契約の箱はそこにある。

 レビ人の祭司たちが神殿から出ると、雲、即ち主の栄光が神殿に満ちた。ソロモン王は祈った、━━「イスラエルの神よ、あなたの僕、わたしの父ダビデになさった約束が、今後も確かに実現されますように。」(王上8:26)
 主よ、とソロモンは祈る、「僕の祈りと願いを顧みて、今日僕が御前(みまえ)にささげる叫びと祈りを聞き届けてください。」(王上8:28)
 罪を犯した者、敵に打ち負かされた者、天変地異や疫病、或いは病気に苦しむ者、御名(みな)を慕う異邦人、彼らがそれぞれに祈りを捧げるとき、主よ、どうか、あなたは天にいましてその者の声を聞き、罪を赦し、報いてください。
 「どうか、この僕の願いにも、あなたの民イスラエルの願いにも御目(おんめ)を向け、いつあなたに呼びかけても彼らに耳を傾けてください。主なる神よ、あなたはわたしたちの先祖をエジプトから導き出されたとき、あなたの僕モーセによってお告げになったとおり、彼らを地上のすべての民から切り離して御自分の嗣業とされました。」(王上8:52-53)
 これが、ソロモン王の祈りである。

 「王はすべてのイスラエル人と共に主の御前にいけにえをささげた。(中略)そのときソロモンは、すべてのイスラエル人、レボ・ハマトからエジプトの川に至るまでの大会衆と共に、わたしたちの神、主の御前で祭りを執り行った。それは七日間、更に七日間、合わせて十四日間にわたった。八日目に王は民を去らせた。民は王に祝福の言葉を述べ、主がその僕ダビデとその民イスラエルになさったすべての恵みの御業を喜び祝い、心晴れやかに自分の天幕へと帰って行った。」(王上8:62,65-66)

 新共同訳聖書にして2頁強(ハンディバイブル・横組みの場合)にわたる列王記上第8章。事前にモーセ五書、殊に出エジプト記と申命記へ、ざっと目を通しておくと背景が際立つ章でもあります。内容からおわかりのように、主なる神がダビデとソロモンに約束していた内容が、ここに至ってようやく実現されました。
 それを喜ぶソロモン王の祈りと感謝、第8章全体の躍動感に満ちた描写に、聖書本文を読み進むときのみならず、ノートを取り、それをPCにぱこぱこ打ちこんでいる間、胸がいっぱいになり、涙腺がゆるむのを感じること度々でありました。それだけ、書いておきます。
 できれば、この章はぜひ翻訳に直接あたっていただきたい、と願います。



 伝統の継承か、或いはそれとの訣別か? 新ヴィーン学派にまつわる諸々の疑問も、源をたどれば斯くも単純な疑問に辿り着くのかもしれません。
 第二次大戦後、ブーレーズら〈トータル・セリー〉派の作曲家たちによって「発見」され、讃えられたアントン・フォン・ウェーベルン。彼のスタイルは20世紀後半になってようやく真価を認められました。或る意味で師シェーンベルク以上に先進的で、未来を見据える眼の持ち主であった、と理解されたのです。
 そろそろ本腰を入れて彼、ウェーベルンともう一人の新ヴィーン楽派、アルバン・ベルクについての文章を書こうと思っています(本当なンだっ!!)。……前にも書いたね、こんなこと……。◆

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