第0378日目 〈列王記上第11章:〈ソロモンの背信とその結果〉〉 [列王記・上]

 列王記上第11章です。

 王上11:1-43〈ソロモンの背信とその結果〉
 ソロモンは主の戒めに背いて、主の怒りを買った。即ちエジプトのファラオの娘を娶ったのみならず、モアブやアンモンその他諸国の女を愛し、彼女らに籠絡されたのである。かつての主の言葉:「あなたたちは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる。」(王上11:2 ex/申7:1-4)
 その通りになった。諸国出身の女たちはソロモンに自分たちの神、主に敵対する神を崇めさせ、いけにえをささげた。当然、主は激昂した。
 「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代には王国を裂いて取り上げる。ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」(王上11:11-13)

 主は、ソロモンに敵対する者を立てた。
 ○エドム人ハダド、エドム王家の血筋の者:ダビデのエドム侵攻時、司令官ヨアブ(当時)がエドム人の男子を全滅させた。ハダドはその生き残りである。その後、エジプトのファラオ(第21王朝アメネモベか?)の許に身を寄せた。が、ダビデやヨアブの死を聞くと、彼の国を出奔した。
 ○エルヤダの子レゾン:ツァバの王ハダドエゼルの家臣だったが主君を捨てて逃亡中、王の死を聞くと仲間を集めて首領となり、ダマスコとアラムを支配。ソロモン存命中はハダド同様、絶えずイスラエルを攻めてこれを憎んだ。

 ツェレダ出身のエフライム人、ヤロブアムは王に反旗を翻した。元来彼はその働きにより、ヨセフ族の労役監督に任命されていた。ヤロブアムはエルサレムを出たとき、シロの預言者アヒヤに出会った。
 アヒヤは衣を12切れに裂いてヤロブアムにいった、「ここから10切れを取りなさい」と。続けてアヒヤは、主はこういった、とヤロブアムに告げた、━━
 「しかし、わたしは彼(ソロモン)の手から王国全部を奪いはしない。わたしの戒めと掟を守った、わたしの選んだ僕ダビデのゆえに、彼をその生涯にわたって君主としておく。わたしは彼の息子の手から王権を取り上げ、それを十部族と共にあなたに与える。彼の息子には一部族を与え、わたしの名を置くためにわたしが選んだ都エルサレムで、わが僕ダビデのともし火がわたしの前に絶えず燃え続けるようにする。だが、わたしはあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ。あなたがわたしの戒めにことごとく聞き従い、わたしの道を歩み、わたしの目にかなう正しいことを行い、わが僕ダビデと同じように掟と戒めを守るなら、わたしはあなたと共におり、ダビデのために家を建てたように、あなたのためにも堅固な家を建て、イスラエルをあなたのものとする。こうしてわたしはダビデの子孫を苦しめる。しかし、いつまでもというわけではない。」(王上11:34-39)
 これを知り、ソロモンはヤロブアムを殺そうと計ったが失敗した。ヤロブアムはエジプトの王(ファラオ)シシャクの許へ逃れ、そこに留まった。シシャクは聖書で始めて名を記されたエジプトのファラオである。

 40年の治世の後、ソロモン王は崩御した。“ダビデの町”シオンに埋葬され、王位はその子レハブアムが継いだ。
 やがて、ヤロブアムは王上12:20にて北王国イスラエルの王に、レハブアムは王上14:21南王国ユダ━━ダビデの家━━の王に、それぞれなった。


 ソロモンの王国は傾城によって瓦解し、新たな時代の転換点を迎えたのでありました。
 主によって栄華を謳歌したイスラエルはこの後、北王国イスラエルと南王国ユダに分断され、流転の時代を経験することになります。
 それは次章以降でもっと詳細に語られてゆくでしょう。



 ベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》を聴きました。レナード・バーンスタイン=ウィーン・フィル&ウィーン国立歌劇場合唱団、DFD、ヤノヴィッツ他(DG)。
 おこがましいことをいわせていただけば、あらゆる類の愉悦に乏しいのは、やはり作曲家の性格ゆえか。だからといって、聴く/観る価値のない作品、というわけでは、断じてない。むしろ、逆。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。