第0405日目 〈列王記下第2章:〈エリヤ、天に上げられる〉&〈エリシャの二つの奇跡〉〉 [列王記・下]
列王記下第2章です。
王下2:1-18〈エリヤ、天に上げられる〉
主が嵐を起こし、ヨルダンのほとりで預言者エリヤを天に上げる直前のことだ。
エリヤはエリシャを連れてギルガルを出、ベテル、エリコへ動いた。その都度エリヤは、ここに留まれ、といったが、エリシャは、あなたを離れません、と答えたので、二人はギルガルからベテル、エリコを経てヨルダンまで行を共にした。ベテルとエリコの預言者の仲間たちがエリシャに、「『主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか』と問うと、エリシャは、『わたしも知っています。黙っていてください』と答えた。」(王下2:3,5)
預言者の仲間たち50人をあとに連れて、エリヤとエリシャはヨルダン川のほとりに着いた。エリヤが脱いだ外套を丸めて河面を打つと、川の流れは左右に割れ、二人は乾いた川底を歩いて東岸へ渡った。預言者の仲間たちは留まった。
エリヤは、私が天に上げられる前に望みがあればいってみなさい、といった。
エリシャは答えた、あなたの霊の2つの分を私に受け継がせてほしい(※1)、と。
難しい願いだが、と前置きして、エリヤはいった、私があなたから取り去られるのを見れば願いは果たされる、見なければ願いは果たされない、と。
おお、そのときである、イスラエルに於ける主の御力の象徴、火の戦車と火の馬が向こうから現れて迫り、二人の間を分けていったではないか。その嵐のなかを、エリヤは天に上がっていった。
「エリシャはこれを見て、『わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ』と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、『エリヤの神、主はどこにおられますか』と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。」(王下2:12-14)
ベテルとエリコの預言者たちはエリヤが天に上げられたと知ると、探しに行かせてほしい、もしかすると主の霊はどこかの山か谷にあなたの主人を落っことしたかもしれないから、とエリシャに頼んだ。重ねて乞われたので、エリシャは探索を許した。が、成果はなかった。エリシャは呟いた、だから行くなといったではないか、と。
※1「あなたの霊の2つの分を私に受け継がせてほしい」:長男は父から、他の2倍の財産を得ることができる。ここでは、エリヤの一番弟子たる自負からエリシャがそういったのである。
王下2:19-25〈エリシャの二つの奇跡〉
そのとき、エリシャはエリコにいた。町の人々は彼に相談した、エリコは住むには良いが水が悪く、周囲の土地は不毛なのです、と。
エリシャの指示通り人々が新しい器を持ってくると、エリシャは水の源へ行って塩を投げこんだ。彼は人々にいった、━━
「主はこう言われる。『わたしはこの水を浄めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」(王下2:21)
その通り、水は清らかとなって今日にまで至っている。
また、エリコからベテルにのぼったエリシャを、町の子供たちは罵り嘲った。エリシャは子供たちを呪い、2頭の熊にその内42人を引き裂かせた(※2)。
エリシャはベテルを発つと、カルメル山を経由して王都サマリアへ戻った。
※2「エリシャは子供たちを呪い」云々:これを果たして奇跡と呼ぶべきなのか? 新約に於ける神の子イエスに較べると、あまりにも「なんじゃ、そりゃ??」といいたくなる“奇跡”だ。
本章に登場するエリコとは、もちろん、ヨシュアが占領し再建する者あらば呪いが訪れる、と宣言し、王上16:34にて再建を企てた者の長子と末子がその通り死に至った、と紹介された町、エリコのことであります。この時点ではもうそれなりの数の人が住み、生活も営まれるようになっていたのでしょう。
そういえば、ゴスペル・ソングに『ジェリコの戦い』というのがありました。ロジェ・ワーグナー合唱団のデジタル録音版が、東芝EMIから<EMIクラシックス決定盤1300>というシリーズでリリースされています(歌詞対訳附き TOCE13050 1,300円)。
ワーグナー絡みで。文筆業もこなした作曲家リヒャルト・ワーグナー、彼の作物で「読んでみたら」とお奨めできるのは、自作の歌劇台本を除けば小説「ベートーヴェン詣で」(岩波文庫)ぐらいでしょうか。良くも悪くも青年ワーグナーの青さと熱さが露骨に表れた一品です。◆
王下2:1-18〈エリヤ、天に上げられる〉
主が嵐を起こし、ヨルダンのほとりで預言者エリヤを天に上げる直前のことだ。
エリヤはエリシャを連れてギルガルを出、ベテル、エリコへ動いた。その都度エリヤは、ここに留まれ、といったが、エリシャは、あなたを離れません、と答えたので、二人はギルガルからベテル、エリコを経てヨルダンまで行を共にした。ベテルとエリコの預言者の仲間たちがエリシャに、「『主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか』と問うと、エリシャは、『わたしも知っています。黙っていてください』と答えた。」(王下2:3,5)
預言者の仲間たち50人をあとに連れて、エリヤとエリシャはヨルダン川のほとりに着いた。エリヤが脱いだ外套を丸めて河面を打つと、川の流れは左右に割れ、二人は乾いた川底を歩いて東岸へ渡った。預言者の仲間たちは留まった。
エリヤは、私が天に上げられる前に望みがあればいってみなさい、といった。
エリシャは答えた、あなたの霊の2つの分を私に受け継がせてほしい(※1)、と。
難しい願いだが、と前置きして、エリヤはいった、私があなたから取り去られるのを見れば願いは果たされる、見なければ願いは果たされない、と。
おお、そのときである、イスラエルに於ける主の御力の象徴、火の戦車と火の馬が向こうから現れて迫り、二人の間を分けていったではないか。その嵐のなかを、エリヤは天に上がっていった。
「エリシャはこれを見て、『わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ』と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、『エリヤの神、主はどこにおられますか』と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。」(王下2:12-14)
ベテルとエリコの預言者たちはエリヤが天に上げられたと知ると、探しに行かせてほしい、もしかすると主の霊はどこかの山か谷にあなたの主人を落っことしたかもしれないから、とエリシャに頼んだ。重ねて乞われたので、エリシャは探索を許した。が、成果はなかった。エリシャは呟いた、だから行くなといったではないか、と。
※1「あなたの霊の2つの分を私に受け継がせてほしい」:長男は父から、他の2倍の財産を得ることができる。ここでは、エリヤの一番弟子たる自負からエリシャがそういったのである。
王下2:19-25〈エリシャの二つの奇跡〉
そのとき、エリシャはエリコにいた。町の人々は彼に相談した、エリコは住むには良いが水が悪く、周囲の土地は不毛なのです、と。
エリシャの指示通り人々が新しい器を持ってくると、エリシャは水の源へ行って塩を投げこんだ。彼は人々にいった、━━
「主はこう言われる。『わたしはこの水を浄めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」(王下2:21)
その通り、水は清らかとなって今日にまで至っている。
また、エリコからベテルにのぼったエリシャを、町の子供たちは罵り嘲った。エリシャは子供たちを呪い、2頭の熊にその内42人を引き裂かせた(※2)。
エリシャはベテルを発つと、カルメル山を経由して王都サマリアへ戻った。
※2「エリシャは子供たちを呪い」云々:これを果たして奇跡と呼ぶべきなのか? 新約に於ける神の子イエスに較べると、あまりにも「なんじゃ、そりゃ??」といいたくなる“奇跡”だ。
本章に登場するエリコとは、もちろん、ヨシュアが占領し再建する者あらば呪いが訪れる、と宣言し、王上16:34にて再建を企てた者の長子と末子がその通り死に至った、と紹介された町、エリコのことであります。この時点ではもうそれなりの数の人が住み、生活も営まれるようになっていたのでしょう。
そういえば、ゴスペル・ソングに『ジェリコの戦い』というのがありました。ロジェ・ワーグナー合唱団のデジタル録音版が、東芝EMIから<EMIクラシックス決定盤1300>というシリーズでリリースされています(歌詞対訳附き TOCE13050 1,300円)。
ワーグナー絡みで。文筆業もこなした作曲家リヒャルト・ワーグナー、彼の作物で「読んでみたら」とお奨めできるのは、自作の歌劇台本を除けば小説「ベートーヴェン詣で」(岩波文庫)ぐらいでしょうか。良くも悪くも青年ワーグナーの青さと熱さが露骨に表れた一品です。◆
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