第0413日目 〈列王記下第9章:〈イエフの謀反〉1/2 & 劇団プロペラ『ヴェニスの商人』〉 [列王記・下]

 列王記下第9章です。

 王下9:1-37〈イエフの謀反〉1/2
 エリシャは預言者の仲間を呼び、腰に帯を締め油壺を持って、ラモト・ギレアドへ行くよう命じた。ニムシの孫、ヨシャファトの子イエフに油を注いでイスラエルの王とするためである。
 仲間(若者)はラモト・ギレアドへ下り、イエフを呼び、天幕のなかで彼の頭に油を注ぎ、主の言葉、エリシャからの言葉を伝えた。曰く、━━
 「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしはあなたに油を注ぎ、あなたを主の民イスラエルの王とする。あなたはあなたの主君アハブの家を撃たねばならない。こうしてわたしはイゼベルの手にかかった僕たち、預言者たちの血、すべての主の僕たちの血の復讐をする。アハブの家は全滅する。わたしは、イスラエルにおいて縛られている者も解き放たれている者も、アハブに属する男子をすべて絶ち滅ぼし、アハブの家をネバトの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。犬がイズレエルの所有地でイゼベルを食い、彼女を葬る者はいない。』」(王下9:6-10)
 イエフはイスラエルの新しい王となった。彼は謀反を起こした。
 その頃、アラムの王ハザエルとの戦いに傷ついたイスラエル王ヨラムがイズレエルに退き、ユダの王ヨラムが見舞いに到着していた。イエフは軍勢を引き連れ、狂ったように戦車を走らせ、イズレエルへ迫った。
 二人の王はイエフを出迎えたが、たちまち謀反だと見抜いて、逃げた。
 イエフは背後からヨラムの心臓を射抜き、かつてイズレエル人ナボトが所有していた畑へ投げ捨てさせた。

 ユダの王アハズヤはベト・ガンの道を通ってグルの坂まで逃げたがそこで傷を負い、メギドへ到着した頃に死んだ。
 遺体はエルサレムへ運ばれ、シオンに埋葬された。

 イズレエルの城塞でアハブ元王の妃イゼベルは、イエフの謀反を見ていた。彼がやって来ると、主君殺しのジムリ(ex:王上16:9-20)にイエフをなぞらえて、からかった。
 イエフは二、三人の宦官に命じて、イゼベルを窓から突き落とさせた。血は地に留まり、壁に散った。馬が死体を踏みつけ、野犬に喰われ、あとには頭蓋骨と両足、両手首だけが残っていた。


 王下9はイエフによる、主の言葉の一部実現が描かれました。
 油を注がれてイスラエルの王となったイエフ(王上19:16)は、アラムの手を逃れたイスラエル王ヨラムとユダ王アハズヤを討ち(王上19:17)、イゼベルを殺して犬に喰わせ(王上21:23)ました。
 そのあたりを読んでここへ戻ると、自ずと奥行きと明瞭な時間軸が誕生し、すべてがつながって前進している様子を、実感いただけると思います。そうすれば、イエフのその後も想像できましょう。
 なお、ナボトの畑については王上21を、ジムリについては王上16:9-20を、それぞれ直接当たってみていただきたい。ノートからどれ程ばかりのことを脱落させねばならなかったかの苦渋に、思いを馳せてもらえるとうれしいです。




 イギリス南部はウォーターミル・シアターを根拠に活動する劇団プロペラ。演出家エドワード・ホール(オペラの演出でも名を残す戦後の名演出家ピーター・ホールの御子息。女優レベッカ・ホールは異母妹)率いる、メンバー全員が男性だけで構成されるのが特徴です。専らシェイクスピアを上演する団体で名誉ある賞を幾つも受賞している、1997年創設と若いながらも演劇関係者、ファンの間では最も注目を浴びる劇団である由。
 その劇団プロペラが今年の夏に初来日(2009年7月)した際の映像を観ました。NHK教育の『芸術劇場』にて、演目は『ヴェニスの商人』。シアターガイドで来日を知って観に行きたかったのですが、どうしても出掛けられず涙を呑んだ公演がまさか地上波で放送されるとは……感謝! うう、……ようやく観ることができました。
 いままでにもシェイクスピア劇の公演には接してきました。が、どうにも野暮ったさとかったるさを拭いきれぬ場合が心のなかにその都度残った。変に歴史劇であることを意識した演出、違和感ばかりが印象的な現代風の演出、「読み替え」という意味ではどの演出にもそれなりの拠って立つ根拠というものがあったのでしょうけれど、もっと気軽に、もっと突き進んだテンポのシェイクスピアを観たかった。
 そういう点で、プロペラの『ヴェニスの商人』はとても楽しめました。ホールの演出は牢獄をモティーフにし、それを組み替えていって場面を構成して行くもの。開幕当初は確かに奇妙な感覚を覚えました。しかしながら、アップ・テンポで切り替わってゆく場面転換に飽きることはついぞなく、2つの場面を重ね合わて1つの場面を作りあげることでむしろ映画に親しんだ、あまり演劇を観ない人にもわかりやすく、視覚的にも好印象を抱きました。
 それに、映像の強みが発揮されました。というのは、役者の表情や身振りのアップが観られること。どういうことかといえば、台詞のない場面でこそちょっとした表情が心理や空気を語る手段になっている、その役者と演出家がおそらく最も神経を払ったであろう効果が画面の前にいる者には劇場にいた人よりも明瞭にわかり得る特権を享受できる、ということなのです。舞台を録画されて編集された映像で観る理由の1つになるでしょう。もっとも、その場でのみ醸成された劇場内の空気、一瞬の舞台と客席の間に流れる芳醇な関係が、映像ではこぼれ落ちてしまうのは致し方ないところ。「舞台芸術は劇場でこそ真実の姿を現す」━━まさしく、というところでありましょう。
 出演者では、特にシャイロック役のリチャード・グロージアーが良かった。情け無用のユダヤ人高利貸しを演じてこの人以上の存在が他にあろうか、と思わず胸のうちで叫んでしまいました。むろん、それもわたくしのさほど広くもないシェイクスピア観賞の範囲内で申し上げているだけなのですが。アントーニオ役のボブ・ベアレット、バッサーニオ役のジャック・タールトンの友情で結ばれたコンビ、バッサーニオの想い人ポーシャ役のケルシー・ブルックフィールドと付き人ネリッサ役のクリス・マイルズ、どの役者さんの演技もとっても新鮮で、幸せな気分になりました。折口博士の言を借りれば「目の正月をした」というところでしょうか。いつの日か再渡英を果たしたら是非にもウォーターミル・シアターを訪ねて本拠地でのシェイクスピアを観たいものだ、と夢想しておること、この際ですから白状しておきましょう。
 それにしても、やはり英国の団体によるシェイクスピアは良いですね。言葉が同じというのはやはり強みなのかなぁ……。こちらにしてみればそれが実に口惜しい点でありまして、シェイクスピアの英語、その陰影を、〈感じられない〉のは仕方ないながらも無念なのであります。
 いつの日か、劇団プロペラのシェイクスピア劇(他のでもいいのですけれど)、就中『ヘンリー6世』3部作と『ウィンザーの陽気な女房たち』を観る幸せが、わが人生に与えられますように。◆

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