第0415日目 〈列王記下第11章:〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉〉 [列王記・下]
列王記下第11章です。
王下11:1-20〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉
南王国ユダの元王アハズヤはメギトで客死し、遺体はエルサレムへ運ばれた(ex:王下9:27-28)。アハズヤの母アタルヤはそれを見、王族を滅ぼそうと行動に移した。が、王子の一人ヨアシュだけは乳母と一緒にかくまわれ、6年間主の神殿に身を潜めていた。
7年目、レビ人で祭司ヨヤダは、近衛兵で構成される百人隊の長とカリ人(クレタ人か?)を呼び、契約を結んで誓いを立てさせた。祭司は彼らにヨアシュを引き合わせて、いった、━━、
「あなたたちがなすべきことはこれである」(王下11:5)
汝ら、王となる者を守れ
ヨヤダは彼らに指示を与えた。それは、
━━安息日が出勤日となっている者の
1:1/3は王宮の警備に、
2:1/3はスルの門の警備に、
3:1/3は近衛兵の背後の門の警備に、それぞれ当たれ。
━━安息日が非番となっている2つのグループは、主の神殿にいる王(ヨアシュ)に侍って警護に当たれ。
百人隊の長とカリ人はヨヤダの指示に従い、安息日を迎えた。
主の神殿に民が集まっている。祭司ヨヤダは、民の前にヨアシュを連れて現れた。かつて命拾いし今日まで秘かにかくまわれてきた、アハズヤ前王の遺児ヨアシュを。
ヨヤダはヨアシュに油を注ぎ、掟の書を与え、南王国ユダの王とした。
「ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。」(王下11:17)
民は歓喜し、「王様ばんざい!」と叫んだ。慶祝のラッパが吹き鳴らされた。
その光景をアタルヤが目にし、謀反だ、と叫んだが、彼女は百人隊によって主の神殿から引きずり出され、王宮で殺された。「アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。」(王下11:20)
主を信じるユダの民はバアルの残党狩りを行い、神殿を徹底破壊した。
章の結びがバアルの駆逐であるせいもありましょうが、本章は王下10とよく似た構成を持っています。
かつての王の一族を外様出身の者が滅ぼし、中間のエピソードを挟んで、バアルの駆逐と破壊・殺戮に至る。
聖書では特に珍しくないことでありますが、この2章はサンプルとして挙げたいぐらい、わかりやすい構成である、と思います。
昨日仕事帰りに買った『生きるための短歌』(岩波ジュニア新書)を読み止められない。定時制高校の生徒たちが詠んだ短歌と、その背景が活写された一冊。
これを読んでいると自分の置かれた状況がどれだけ恵まれ、まだまだがんばっていないかを、強く実感させられます。一流企業で自分がなにをしているのかわからないまま流されて仕事をこなし、なんとなく植えこまれる組織への帰属意識を充実感とはき違えて外見のメッキ吹きつけ作業に勤しむ亡者たち(かつての自分だっ!!)に較べると、ずっと生きる意味と仕事の本質を会得してなおもがんばり続けている彼らの姿は清々しい。
彼らにこそ、幸あれ。
本当はこんな簡単な言葉で結ぶのも、彼らにはずっと失礼だとわかっている。でも、いまの俺にはこんな陳腐な言葉しかあげられないんだ。◆
王下11:1-20〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉
南王国ユダの元王アハズヤはメギトで客死し、遺体はエルサレムへ運ばれた(ex:王下9:27-28)。アハズヤの母アタルヤはそれを見、王族を滅ぼそうと行動に移した。が、王子の一人ヨアシュだけは乳母と一緒にかくまわれ、6年間主の神殿に身を潜めていた。
7年目、レビ人で祭司ヨヤダは、近衛兵で構成される百人隊の長とカリ人(クレタ人か?)を呼び、契約を結んで誓いを立てさせた。祭司は彼らにヨアシュを引き合わせて、いった、━━、
「あなたたちがなすべきことはこれである」(王下11:5)
汝ら、王となる者を守れ
ヨヤダは彼らに指示を与えた。それは、
━━安息日が出勤日となっている者の
1:1/3は王宮の警備に、
2:1/3はスルの門の警備に、
3:1/3は近衛兵の背後の門の警備に、それぞれ当たれ。
━━安息日が非番となっている2つのグループは、主の神殿にいる王(ヨアシュ)に侍って警護に当たれ。
百人隊の長とカリ人はヨヤダの指示に従い、安息日を迎えた。
主の神殿に民が集まっている。祭司ヨヤダは、民の前にヨアシュを連れて現れた。かつて命拾いし今日まで秘かにかくまわれてきた、アハズヤ前王の遺児ヨアシュを。
ヨヤダはヨアシュに油を注ぎ、掟の書を与え、南王国ユダの王とした。
「ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。」(王下11:17)
民は歓喜し、「王様ばんざい!」と叫んだ。慶祝のラッパが吹き鳴らされた。
その光景をアタルヤが目にし、謀反だ、と叫んだが、彼女は百人隊によって主の神殿から引きずり出され、王宮で殺された。「アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。」(王下11:20)
主を信じるユダの民はバアルの残党狩りを行い、神殿を徹底破壊した。
章の結びがバアルの駆逐であるせいもありましょうが、本章は王下10とよく似た構成を持っています。
かつての王の一族を外様出身の者が滅ぼし、中間のエピソードを挟んで、バアルの駆逐と破壊・殺戮に至る。
聖書では特に珍しくないことでありますが、この2章はサンプルとして挙げたいぐらい、わかりやすい構成である、と思います。
昨日仕事帰りに買った『生きるための短歌』(岩波ジュニア新書)を読み止められない。定時制高校の生徒たちが詠んだ短歌と、その背景が活写された一冊。
これを読んでいると自分の置かれた状況がどれだけ恵まれ、まだまだがんばっていないかを、強く実感させられます。一流企業で自分がなにをしているのかわからないまま流されて仕事をこなし、なんとなく植えこまれる組織への帰属意識を充実感とはき違えて外見のメッキ吹きつけ作業に勤しむ亡者たち(かつての自分だっ!!)に較べると、ずっと生きる意味と仕事の本質を会得してなおもがんばり続けている彼らの姿は清々しい。
彼らにこそ、幸あれ。
本当はこんな簡単な言葉で結ぶのも、彼らにはずっと失礼だとわかっている。でも、いまの俺にはこんな陳腐な言葉しかあげられないんだ。◆
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