第0428日目 〈列王記下第21章:〈ユダの王マナセ〉、〈ユダの王アモン〉〉 [列王記・下]

 列王記下第21章です。

 王下21:1-18〈ユダの王マナセ〉
 ヒゼキヤ王が崩御するとその子マナセが、ユダの王位に就いた。12才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて55年続いた。母の名はヘフツィ・バ。
 父王は信仰を正しい方へ戻した。が、マナセ王は継承しなかった。彼は再び聖なる高台を設置し、バアルの祭壇を築いた。自分の子に火のなかを歩かせ、口寄せや霊媒を用いた。また、アシェラの神像を造って神殿に置いた。
 マナセ王はユダ史上、最悪の王であった。
 かつて主はダビデとソロモンに、僕モーセに与えた律法を守らない場合は嗣業の民を敵の手に渡し、その餌食とし略奪の的になるようにする、と告げた。
 いまやユダは、マナセが信仰を踏みにじったために主の怒りを招いたのである。
 が、マナセは自分の欲望と本能に忠実であった。
 「マナセは主の目に悪とされることをユダに行わせて、罪を犯させた。彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした。」(王下21:16)
 マナセの事績や言動、罪はすべて『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 死んで後は自分の王宮の庭園(ウザの庭園)に埋められ、その子アモンが次王となった。

 王下21:19-26〈ユダの王アモン〉
 マナセ王が死ぬとその子アモンが、ユダの王位に就いた。22才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて2年続いた。母は旧北王国ガリラヤ地方ヨトバ(ナザレの北方約20キロの位置にある町)出身ハルツの娘メシュレメト。
 ユダ史上最悪の王の息子らしく、アモンも主の信仰を顧みず異端に走った。
 そこで家臣たちが謀反を起こし王宮内で彼を殺したけれど、国民は反逆者とその一党を許さず処刑した。国民は次の王にマナセの子ヨシヤを擁立し、これを新しい王とした。
 マナセの事績は『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 殺されてからはウザの庭園に埋められ、その子ヨシヤが次王となった。

 「ざまぁみろ」というが良いのか、「あはれなるべし、ユダの王よ」というが良いのか、ここまで来ると、読後感にも苦しみというか揺れが生まれます。
 ここで「おっ」と思ったのは、国民の意思決定が次王の選別に働きかけていること。諸資料を検討すれば「国の民」が非常に限定された階層を指すのは明らかでありましょうが、それでもここで(おそらくは)初めて君主の選定に国民の意思が反映するようになった旨記述あることに、ときめきに似た喜びを感じているのです。これぞ民主主義勃興の瞬間?



 館山から持ってきた海鮮を使って鍋料理。嗚呼、美味。日本に生まれて良かった。◆

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