第0430日目 〈列王記下第23章:〈ユダの王ヨシヤ〉2/2〉 [列王記・下]

 列王記下第23章です。

 王下23:1-30〈ユダの王ヨシヤ〉2/2
 発見された律法の書を読みあげるため、ヨシヤ王は、ユダとエルサレムのすべての人々を職業や貴賎に関わりなく呼び集め、共に主の神殿へあがった。
 「(王は)すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。それから王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。民も皆、この契約に加わった。」(王下23:2-3)

 ━━契約の書(律法の書)の言葉を実行すると誓った王は、まず主の神殿内にあって、そこにあるのがそぐわないもの、主への信仰に背く物を徹底的に排除した。
 ユダの町々、エルサレム周辺の聖なる高台を汚し、その祭司たちを一掃した。かつてソロモン王が異神のために築いた聖なる高台━━エルサレムの東、滅びの山の南に築いた聖なる高台(王上11:7)も汚した。
 また、旧北王国領━━いまや〈サマリア州〉というべきか━━のベテルに進み、そこにあった祭壇と、ネバトの子ヤロブアムが造った聖なる高台と祭壇(王上12:31)を破壊した。
 そのときである、振り向いたヨシアの目に、山上の墓が見えた。そこの骨を祭壇の上で焼いて祭壇を汚した。「かつて神の人がこのことを告げたが、その神の人の告げた主の言葉のとおりになった。」(王下23:16)(※1)
 ヨシヤ王は旧北王国領を更に進み、サマリアの町々にある聖なる高台を汚し、祭司たちを皆殺しにした。
 これらのことが終わると、王は民を集めて、契約の書に記されているような過越祭(※2)を催し、共に祝った。
 「士師たちがイスラエルを治めていた時代からこの方、イスラエルの王、ユダの王の時代を通じて、このような過越祭が祝われることはなかった。ヨシヤ王治世第十八年に、エルサレムでこの主の過越祭が祝われた。」(王下23:22-23)

 「こうして彼は祭司ヒルキヤが主の神殿で見つけた契約の書の言葉を実行した。彼のようにまったくモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。
 しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。主は言われた。『わたしはイスラエルを退けたようにユダもわたしの前から退け、わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの神殿もわたしは忌み嫌う。』」(王下23:24-27)

 さて。このヨシヤ王の御代は、エジプト軍との一戦に王が倒れたことで幕を閉じた。
 エジプトはファラオ、ネコ2世に率いられて、メディア=バビロン連合軍と戦うアッシリアの援軍として、一路北東へと進んでいたのである。その途上で、エジプトはユダと衝突した。
 決戦の舞台はメギト。この地で、エジプトとユダは剣を交えて戦った。が、その最中(さなか)、ヨシヤ王はファラオ・ネコの前に倒れて、そのまま命を落とした。ユダは戦場で君主を失った。
 王の遺体は王都エルサレムへ運ばれ、彼の墓に埋葬された。
 ヨシヤ王の事績(※3)は『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 その子ヨアハズが国の民によって選ばれ、油を注がれて、ユダの次王となった。

 ※1神の人シェマヤはイスラエル王ヤロブアム(1世)の傍らの祭壇に向かって斯く言ひき、「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる、『見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤという。彼は、お前の上で香をたく聖なる高台の祭司たちを、お前の上でいけにえとしてささげ、人の骨をお前の上で焼く。』」(王上13:2)
 ※2「過越際」→申16:1-8
 ※3「ヨシヤ王の事績」→ヨシヤ王は発見された律法の書(契約の書)の精神を遵守し、王国統一に向けて様々に改革を行いました。参考図書として山折哲雄『聖書時代史 旧約篇』(岩波現代文庫)を挙げておきます(P157-162)。これらはユダヤ捕囚の時代まで継承された、と著者は指摘しております。



 クリスマス・イヴが最後の出逢いだった。あれからあと10日で1年、いまでもおぐゆーさんが忘れられない。
 新しい変化があった今日、ただ無性に、本当に、小倉さんに逢いたい。逢って話がしたい。帰り道、木の枝にかかった月を見ながら、そう思う。それが本心。
 小倉さんを想いつづけている。いまでも。いつまでも。
 だから、返事して。◆

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