第0462日目 〈歴代誌上第10章:〈サウルの死〉〉 [歴代誌・上]

 歴代誌上第10章です。

 代上10:1-14〈サウルの死〉
 サウル王の御代、イスラエルは対ペリシテ戦争を経験した。最後の戦場はイスラエル北方、イズレエル平野を北に見るギルボア山。
 ここで、王の息子3人が倒れた。サウル王は自害して果てた。侍っていた従卒もあとを追った。ここにサウルの血は絶えた。イスラエルは敗走した。
 翌る日、ペリシテ軍は王の遺体から首を切り落とし、自分たちの国へ持ち帰ってダゴンの神殿に置いた。
 ヨルダン川の東岸、ガド領ヤベシュの人々は王の戦死とペリシテ軍の仕打ちを知った。彼らはギルボア山へ向かい、王と息子たちの遺体を自分たちの場所へ運び、樫の木の下に手厚く埋葬した。彼らは77日間断食した。
 「サウルは主に背いた罪のため、主の言葉を守らず、かえって口寄せに伺いを立てたために死んだ。彼は主に尋ねようとしなかったために、主は彼を殺し、王位をエッサイの息子ダビデに渡された。」(代上10:13-14)

 代上10の並行箇所はサム上31全節(1-13)。併読を強く願います。
 引用箇所にあった「口寄せ」云々は、サム上28:7-19の記述を指します。このときサウルは、女の口寄せに呼び出させたサムエルからイスラエル敗北を告げられます。「主に尋ねようとしなかった」と歴代誌の著者は書きますが、サム上では口寄せを訪ねる以前、サウルは主に伺いを立てていたのでした。が、なんのリアクションもなかったため、口寄せを訪ねたのです。無反応だったのは、それまでにサウルが数々の悪行により主の怒りを招いていたためでもありましたが……。
 いろいろ素行に問題ありと雖も、さんさんかはサウルが好きであります。



 ドストエフスキー『罪と罰』(新潮文庫)を読み始めました。ラスコーリニコフとは現代日本人の原型か? とても他人とは思えない……。◆

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