第0507日目 〈歴代誌下第11章:〈ユダの王レハブアム〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第11章です。
 並行箇所は王上12:21-33〈ソロモンの背信とその結果〉、同14:21-24〈ユダの王レハブアム〉。

 代下11:1-23〈ユダの王レハブアム〉
 ヤロブアムに従うイスラエルの人々がハドラムを石で打ち殺したので、レハブアムは急ぎエルサレムへ帰って、18万の戦士を率いてイスラエルに戦いを挑み、王国を奪還するための行動に出た。が、そこへ神の人シェマヤに神の言葉が臨んだ。主はこういった、ヤロブアムとその民に戦いを挑むのはやめよ、ダビデとソロモンの王国が分裂してヤロブアムをイスラエルの王としたのはわたしなのだから、と。それを聞いてレハブアムとその軍勢は進むのをやめた。
 戦うのを諦めたレハブアムは、ユダとベニヤミンに要害のための砦の町(※1)を築いた。そしてそこを強固にし、食糧や水、武器をじゅうぶんに蓄えさせ、長官(守備隊長)と自分の息子たちを配置した。
 その頃、北王国イスラエルではヤロブアムが自分の偶像━━金の子牛二頭を造ってダンとベテルに置き、民ともども礼拝するようになっていた。ヤロブアムはレビ人でない民から祭司を立てて奉仕させた。為、北王国にいた祭司とレビ人は南王国へ逃れ、先祖の神、主へいけにえをささげた。「彼らは三年間ユダの国を強くし、ソロモンの子レハブアムを支援した。彼らが三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだ(※2)からである。」(代下11:17)
 ユダの王レハブアムには18人の妻と60人の側女があり、28人の息子と60人の娘が生まれた。代下11に名が記されるのは、ダビデの子エリモト(サム下3:2-5,5:13-16,代上14:3-7にこの名なし)の娘マハラトとの間に生まれたエウシュ、シェマルヤ、ザハム、もう一人、ヘブロンで生まれて父ダビデに反逆したアブサロムの娘マアカとの間に生まれたアビヤ、アタイ、ジザ、シェロミト、である。ユダの王位はマアカが生んだアビヤが継いだ(王上14:31,15:1-8では「アビヤム」)。
 「また彼は賢明に行動し、その息子たちの何人かをユダとベニヤミンの全土に、すなわちそのすべての砦の町々に配置して、豊富な食糧を彼らに与え、また大勢の嫁を彼らにために探し求めた。」(代下11:23)

 ※1「砦の町」→代下11より列記する。ベツレヘム、エタム、テコア、ベト・ツル、ソコ、アドラム、ガト、マレシャ、ジフ、アドライム、ラキシュ、アゼカ、ツォルア、アヤロン、ヘブロン、以上15の町である。
 ※2「三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだ」→エジプト王シシャクによる遠征までの期間を指す。ex;王上14:25-28,代下12

 歴代誌で目立つのはアサやヨシャファト、ヒゼキヤ、ヨシヤといった、主の目に正しいと映ることを行ったユダ王たちの事績が、一個の<物語>として語られている点でしょう。
 ヒゼキヤ、ヨシヤについては王下でも複数章に渡って記述があります。しかし、単なる事績の紹介としても、個々の<物語>としても、代下の方がずっと生彩にあふれているように、読んでいて感じます。
 少なくとも語り部としての<力>は、列王記よりも歴代誌著者に軍配を挙げて良さそうです。このすぐあとに登場するアサ王、ヨシャファト王の諸エピソードに至っては(王上に於いてデータという以上の扱いがなかっただけに)なおさら、といえるのではないでしょうか。



 小説用のノートを一冊使い終わりました。うれしい。場面としてもキリのよい部分だったのでそれなりに満足。が、体力と精神力をすっかり奪われた気分でもあります。
 終わったあとは数分の間放心してしまい、我ながらぐったりした様子でいつものスターバックスを出たのでありました。
 一歩一歩、一字ずつ一行ずつ、遅くてもいいから、着実に前へ進もう。◆

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