第0515日目 〈歴代誌下第19章:〈エルサレムにおけるヨシャファト〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第19章です。
 並行箇所は王上22:41-47〈ユダの王ヨシャファト〉だが、代下19の内容は含まない。

 代下19:1-11〈エルサレムにおけるヨシャファト〉
 戦場からエルサレムへ帰還したヨシャファト王の前に、先見者ハナニの子イエフが立って、詰った。主を憎む者の友になるとは何事か、と。が、悪いことがあれば良いことも、埋め合わせをするように、ある。イエフは王に、ユダの地から聖なる高台とアシェラ像を取り除いたことを、賞讃した。
 王はエフライムの山地からベエル・シェバをまわって、民の信仰を先祖の神、主に立ち帰らせた。それからユダの砦の町々に裁判官を置き、「人のためではなく、主のために裁くのだから、自分が何をすべきか、よく考えなさい。(中略)注意深く裁きなさい。わたしたちの神、主のもとには不正も偏見も収賄もない。」(代下19:6-7)
 王はエルサレムに於いても、何人かのイスラエルの氏族の長、レビ人と祭司を、裁判官と紛争の調停役に任命した。ヨシャファトは彼らにこういった、━━
 「あなたたちの兄弟が自分の住んでいる町からあなたたちに訴え出るときはいつでも、それが傷害事件であれ、律法、戒め、規定、掟に関する問題であれ、彼らが主に罪を犯して、怒りがあなたたちと兄弟たちの上に降りかかることのないように、彼らを戒めなさい。このように行えば、あなたたちが罪を犯すことはない。
 主に関する事柄についてはすべて、祭司長アマルヤがあなたたちの上に立って責任を負い、王に関する事柄についてはすべて、ユダの家の指導者イシュマエルの子ゼバドヤが責任を負う。レビ人が書記としてあなたたちの補佐をする。勇気をもって行え。主が善を行う者と共にいてくださるように。」(代下19:10-11)

 賢王ヨシャファトの事績と言葉が綴られます。このあたり、代下17:7-9に於けるユダの教化と通じる部分があるエピソードです。が、その一方で先見者になにかと難詰される役目も負ったのも、同じ賢王ヨシャファトでありました。父アサと同じ、といえましょう。
 王国分裂後、レハブアム以後のユダ王で、斯様に二面性をあぶり出された王も、そうはいないかもしれません。歴代誌著者がどう考えたかは別として、わたくしはここに、<王>であり<人間>である、当たり前な為政者の姿を見せられた思いがしております。
 ━━なお、この章の不明点として残るのが、「こうして彼らはエルサレムに帰った。」(代下19:8)という文章。「彼ら」とはレビ人、祭司、イスラエルの氏族の長ですが、「エルサレムに帰った」となれば、任命はエルサレムの外で行われた、と考えるのがふつうではありますまいか。が、どの時点で、エルサレムへ帰ってきた王は彼らを連れてエルサレムを出たのか、どこで任命をしたのか、と疑問が残っているのであります。ものの本を見てみましても、どれもわたくしの単純な疑問には答えてくれません。嗚呼。



 中途半端に積もった雪を踏みしめながら、雨と風のなかを通って帰ってゆく、裏侘びしい男の姿。
 心のなかで、摑め得ぬ幸福を描きながら、なんとかその端緒だけでも摑みたいと願って生きる、哀れなる男の姿。
 ……ゆらり、と立ち現れて、消えようとしても消える術を知らぬ、ゴーストを飼う男の……。◆

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