第0525日目 〈歴代誌下第29章:〈ユダの王ヒゼキヤ〉〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第29章です。
 並行箇所は王下18:1-3〈ユダの王ヒゼキヤ〉、但し神殿修復の箇所は含まれない。

 代下29:1-36〈ユダの王ヒゼキヤ〉
 25歳で即位し、父祖ダビデと同じ道を歩み主の目に正しいと映ることをことごとく行ったユダの王、ヒゼキヤ。彼はその治世の第一年目から、主の神殿の修復に取りかかったのであった。彼はレビ人と祭司を、神殿の東の広場に集めて、行った、━━
 「今わたしは、イスラエルの神、主と契約を結ぶつもりである。そうすれば、主の怒りの炎がわたしたちから離れるであろう。わが子らよ、今このとき怠けていてはならない。主があなたたちをお選びになったのは、あなたたちが御前に出て主に仕え、主に仕える者として香をたくためである。」(代下29:10-11)
 そこでレビ人━━ケハトの子ら、メラリの子ら、ゲルションの子ら、エリツァファンの子ら、アサフの子ら、ヘマンの子ら、エドトンの子らが立ちあがり、自分たちを聖別すると、荒廃した神殿へ入った。彼らは半月を費やして神殿を清め、祭壇や祭具を清めた。
 王にそれが報告された翌る日の朝、焼き尽くす献げ物と贖罪のための献げ物が集められ、屠られた。その血は祭壇に振りかけられた。そして、ダビデの楽器の伴奏で主を讃える讃歌が歌われラッパが合奏されると、焼き尽くす献げ物がささげられた。終わると、ヒゼキヤ王と、彼と共にいた人々はひざまずいて礼拝した。続いて会衆は主の神殿に感謝の献げ物を、一部の者は焼き尽くす献げ物をも携えてきて、それぞれささげた。
 「こうして主の神殿における奉仕が復活した。ヒゼキヤとすべての民は神が民のためにしてくださったことを喜び祝った。このことが速やかに行われたからである。」(代下29:36)

 暗闇と薄明のなかを彷徨ってきた歴代誌下。ここに来て初めて、力強い希望にあふれたエピソードに触れたような感じがします。それは逆にいえば、ユダと雖も先祖の神、主の道を歩むことが如何に困難かを見せつけられてきた、ということでもあります。
 既に王下で見たように、ヒゼキヤ王は歴代のユダ諸王の中でも特に賢王と称されるに相応しい人物です。これからしばらく、ヒゼキヤ治世下のユダ王国を我らは探訪することになります。



 洋画シネフィル・イマジカ(260ch)は短編映画の宝庫。先日もフランスで制作された短編映画の特集を観ました。でも、……
 ……「ニエト教授の実験シリーズ」Lessson1-5は、おフランス流のエスプリなのか、それとも動物愛護協会への挑戦状なのか。面白いことは面白いのだが、ぶふっ、と笑った直後に後ろめたさを感じるのも事実。背後に目配せしてみたりする類の、ね。
 他に「おやすみ、マヒト」と「ピッグポケット」が良かった。
 「おやすみ、マリク」は、弟と暮らす兄が主人公。ナイト・クラブのドアマン(用心棒)をやって、生計を立てている。或る晩、クラブにやって来た3人の客を追い返した兄/マリクは、帰宅した朝、弟が自作の詩を朗読するのを聞きながら、自分のやったことに思いを巡らせている。フランスの移民事情に材を取った一作、16分程度の作品とはいえ、極めて上質の長編小説を堪能したような満足感を得られた。この日、放送されたなかでは、いちばんのお気に入り作品。従って、即DVDに落とすことを決定しました。
 「ピッグポケット」は、「役立たず」と罵られたスリ2人組が、ひょんなことから出会った少年と組んでスリ活動に精を出す。やがては3人とも警察に捕まるのだけれど、実は少年の手のなかには……、というお話。他愛ないと行ってしまえば他愛ないのだが、観終わってからじわじわと胸が温かくなってくる作品でした。
 拙い感想にもならぬ感想で申し訳ないが、まあ、許してくれ。
 他にも同chでは、昨日今日(一昨日と昨日、ですか)の朝、ジャック・ドゥミの短編映画を放送していました。これから観ます。◆

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