第0529日目 〈歴代誌下第32章2/2:〈センナケリブの攻撃〉2/2〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第32章2/2です。
 並行箇所は、王下20:1-21〈ヒゼキヤの病気〉。

 代下32:24-33〈センナケリブの攻撃〉2/2
 アッシリアの攻撃を退けた頃、ヒゼキヤ王は病気にかかり死線をさまよった。これを哀れと思し召した主は、彼にしるしを与えた。王は全快したが、主の恩恵にふさわしく応えることはなく、そのまま思い上がった、すなわち自分とユダ、エルサレムの上に主の怒りを招いたのである。さりながら王がすぐにへりくだったので、ヒゼキヤの御代に主の怒りが降ることはなかった。
 ヒゼキヤ王の治世にユダは繁栄した。ギホンの上(かみ)の方の湧き水を塞き止め、ダビデの町の西側へ流れるように治水工事を行ったのは、王の数多の事績のうちでも最も讃えられることの一つである。
 「しかし、バビロンの諸侯が、この地に行った奇蹟について調べさせるため、使節を遣わしたとき、神はヒゼキヤを試み、その心にある事を知り尽くすために、彼を捨て置かれた。(※1)」(代下32:31 ex;王下20:12-19〈バビロンからの見舞客〉)
 25歳で即位したヒゼキヤ王は29年間エルサレムで王位に在って、その後崩御した。遺体は「ダビデ一族の墓のある丘に」(代下32:33)埋葬された。「その死にあたってすべてのユダとエルサレムの住民が彼に敬意を表した。」(同)
 ヒゼキヤの事績と敬神の行為は、『預言者アモツの子イザヤが見た幻』と『ユダとイスラエルの列王の書』に記されている。

 ex;「彼はイスラエルの神、主に依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。」(王下18:5-6〈ユダの王ヒゼキヤ〉)

 ※1「彼を捨て置かれた」→バビロン王バアルダンの息子メロダク・バアルダンが派遣した見舞いの使節に、ヒゼキヤが王宮や倉庫などのなかを隈無く見せたのを預言者イザヤが批判したことを指す。王下20:12-18参照。



 桜木町駅前に新しくオープンしたコレット・マーレ。週末はエスカレーターの利用に長蛇の列が出来(列整理のなんと下手で杜撰なこと! フォーラム・メンバーに任せてしまえ!)、入っている店舗も賑わいを見せていました。平日の今日(昨日ですか)はだいぶ少なかったようですが、それでもまだまだなんとか繁盛はするでしょう。
 でも、閉店20時って早過ぎなくない? ランドマークやクイーンズに早くも敗北宣言?それとも、ハナから採算に合わぬ戦いゆえにケツをまくって逃げ出す用意? いずれにせよ、あすこで真に使い出があるのは、病院と映画館ぐらいではあるまいか? まぁ、グルメ関係はしばし静観すべきであろうけれど。取り敢えずいま気になっているのは、神奈川県初出店が大きなウリの、カフェ・アパッショナータ、かな。◆

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