第0532日目 〈歴代誌下第35章1/2:〈ユダの王ヨシヤ〉2/3〉 [歴代誌・下]

 歴代誌下第35章1/2です。
 並行箇所は、王下23:21-23〈ユダの王ヨシヤ〉、エズ・ギ1:1-20〈ヨシヤと過越祭〉。

 代下35:1-19〈ユダの王ヨシヤ〉2/3
 ヨシヤ王はエルサレムにて主の過越祭を祝うことにした。時にその治世第18年。第一の月に過越のいけにえを屠り、祭司たちを任務に就かせて主の神殿の奉仕を行わせ、すべてのイスラエル人の教師であり主のために聖別されたレビ人に、契約の箱を神殿へ運びこむよう命令した。家系ごと、組ごとに職務について励み、「過越のいけにえを屠り、自分を聖別し、あなたたちの兄弟が、モーセを通して伝えられた主の言葉に従って祝いができるように整えよ。」(代下35:6)
 民のため、王は過越のいけにえを提供した。民と祭司とレビ人のため、神殿の主管ヒルキヤ、ゼカルヤ、エヒエルは過越のいけにえを提供した。レビ人に、コナンヤとその兄弟シェマヤとネタンエル、レビ人の指導者ハシャブヤ、エイエル、ヨザバドは過越のいけにえを提供した。
 奉仕の準備が整い、王の指示に従って、祭司はその持ち場に、レビ人はその組ごとに立った。いけにえが屠られ、皮が剥がれ、焼き尽くす献げ物とする部位を除いて調理され、民の全員へ配られた。アサフの一族である詠唱者たちは、先見者アサフ、ヘマンとエドトンの指示で自分たちの持ち場についた。門衛もそれぞれの門に立った。
 「ヨシヤ王の指示に従って過越祭を祝い、主の祭壇に焼き尽くす献げ物をささげるために、主に対する奉仕の準備はその日にすべて整った。」(代下35:16)
 「こうしてその時、そこにいたイスラエルの人々は過越祭を祝い、除酵祭を七日間にわたって祝った。預言者サムエルの時代以来、イスラエルにおいてこのような過越祭が祝われたことはなく、ヨシヤが祭司、レビ人、そこに居合わせたすべてのユダとイスラエルの人々、およびエルサレムの住民と共に祝ったような過越祭を行った者は、イスラエルの歴代の王の中に一人もなかった。」(代下35:18)
 こうして主の過越祭が、ヨシヤ王によって祝われた。

 ノートではばっさり切り捨てましたが、この箇所は、過越祭の準備で大わらわになっている人々のために、レビ人が如何に陰に陽にサポートしたかが描かれています。それを確認するためにも、一度本文に目を通していただけると幸いです。
 引用文中、「サムエルの時代以来」云々とありますが、並行箇所では「士師たちがイスラエルを治めていた時代からこの方」(王下23:22)となっています。
 要するに、神の人モーセの後継たるヨシュアが身罷って以来、サウルが初代イスラエル王になってダビデ、ソロモンを経た長い時間のなかで、ここまで大規模で主への感謝と畏怖と信心に裏打ちされた過越祭は行われたことはない、それだけヨシヤ王が行った過越祭は立派で王の事績は仰いで範とすべきものであるぞ、と、バビロニアから帰還したイスラエル/ユダの民に歴代誌著者は伝えているのです。
 並行箇所ではわずか2節で語られたヨシヤ主催の過越祭がここまで大きく語られているのは、そんな理由からである、とさんさんかは考えております。
 なお冒頭、並行箇所として挙げた<エズ・ギ>は旧約聖書続編にある「エズラ記(ギリシア語)」のことであります。数年後に我らは読むことになりますが、その際は再び代下35に立ち戻ることもあるでしょう。



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