第0557日目 〈エズラ記第3章:〈礼拝の開始〉&〈神殿の基礎〉、映画『シャーロック・ホームズ』を観てきました。〉 [エズラ記]

 エズラ記第3章です。

 エズ3:1-7〈礼拝の開始〉
 「(帰還した年の)第七年になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。」(エズ3:1)
 というのも、神殿の基礎を据えるための前準備として、祭司たちを中心としてモーセの律法の定めに従い、新たに築かれたイスラエルの神の祭壇の上で種々の焼き尽くす献げ物がささげられるからであった。
 この祭司たちの行為はいうなれば、我が国における地鎮祭に相当しようか。いずれにせよそれは、第二神殿の建築に際して、されねばならぬ儀礼であった。
 またユダの民は、石工と大工、シドン人とティルス人に手間賃を払い、ペルシアの王キュロスの許しを得て、レバノン杉を海路でヤッファの港まで運んでいた。祭司たちが旧神殿の跡地で種々の献げ物をささげている最中にも、神殿再建のための実際的準備が進んでいたのである。

 エズ3:8-13〈神殿の基礎〉
 帰還の翌年、ゼルバベルとイエシュアは、自分たちの他の兄弟やすべての捕らわれの地より帰り来たった人々と共に、第二神殿建築のための工事に着手した。
 神殿の基礎が据えられ、定礎式が行われた。「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と主を讃える歌がうたわれた。
 神殿の基礎が据えられた。民は歓喜し、かつて旧神殿(第一神殿)の偉容を目にして未だ記憶に焼きついている老齢の祭司、レビ人や家長たちは随喜の涙を流してこれを見た。
 「人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。」(エズ3:13)

 帰還した民は一丸となって、それこそ総力を挙げて第二神殿の建築(神殿の再建)に取りかかったことを報告する章です。
 焼き尽くす献げ物について本文は3節にわたって記します。ここでは敢えて省いた箇所ですので、よろしければエズラ記それ自体にあたって読んでみてください。



 夜09時。仕事をバタバタ終わらせ、109シネマズへ飄然と赴く。
 というわけで、今週末で上映終了の映画『シャーロック・ホームズ』(2009 米)を観てきました。監督はガイ・リッチー、脚本はアンソニー・ペッカム。ロバート・ダウニー Jr.(ホームズ)とジュード・ロウ(ワトスン)がこれまで誰も見たことがない世界最強のコンビに扮して、19世紀末のロンドンを舞台に悪を追い詰めてゆく、……というのが基本コンセプト。
 小学生時分からそれなりにホームズ譚を愛読し、ジェレミー・ブレットのホームズ像が刷りこまれている身には、今回のダウニー・ホームズはちと辛いものがありそうだ、とあまり期待していなかった。
 ━━な・の・に! このダウニー・ホームズは実に素晴らしいぞ!? これまでの映像作品で殆ど描かれてこなかった武闘家ホームズを堪能するならこの一本!
 そう、原作でもホームズは腕力でモノをいわせたことがあった、確かにいままでの映像作品でも描かれてきた。でもそれは、よくいって控えめな演出で、エレガントをぎりぎりで守ろうとする“逃げの演出”が見え隠れしていた。が、あれを映像に置き換えるなら、今回の映画版がいちばん理に適っているのではないか。どうだろうか?
 黒魔術と秘密教団が絡むとなればどうしても思い出すのは、1980年代半ばに日本でも公開された『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(観に行った!)。なんかね、折りにつけ脳裏をあの映画の一場面が過ぎってならぬのさ。余韻にしても然りでね。そうだ、映画『シャーロック・ホームズ』で初めてベーカー街が映し出される際のカメラ・アングルね、あれって、グラナダ・テレビ版ホームズ(前述のジェレミー・ブレットがホームズを演じていた)のオープニングと一緒だよね。思わず、「おお!」と一人感動してしまいましたよ。うむ。これってオマージュなのか、そうなのか!? ん、パロディ? 偶然?
 建築途中のタワー・ブリッジでのクライマックス・シーンは、正直物足りませんでした。もっとブラックウッド卿との戦いが描かれるかと思っていたのだけれど……あっさりしていたな、というのが偽りなき感想です。2人(役者/役柄)とも疲れちゃったのか、或いは、ホームズとしては下に落っこちたアイリーンが心配だからさっさとブラックウッド卿いなくなってくれよ、ってところ? いや、まさか。
 シャーロッキアンにこの映画がどう受け取られるのかは知りません。けれど、未だベッド・サイドにホームズ物語を置き、新訳が出ればいそいそと買いこんできて読み耽る者としては、これ程爽快かつ痛快なホームズに出会えた喜びを、声を大にして歌いあげたいのであります。
 このスタッフとキャストで、モリアーティ教授との因縁の対決を描いた続編を希望しております。そのときは大槻ケンヂがプログラムで指摘するように(なぜワトスンはホームズ最大の事件を記録に残さなかったのか?)、監督ガイ・リッチーなりの解答を出してくれるのではないでしょうか。
 二の足を踏んでいた映画が面白いとなんだか得した気分。そんな気分を味わわせてくれた『シャーロック・ホームズ』でした。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。