第0560日目 〈エズラ記第6章:〈ダレイオス王の返事〉&〈神殿の完成〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第6章です。

 エズ6:1-12〈ダレイオス王の返事〉
 ……総督タテナイたちの報告を受け、ダレイオス王はバビロンにある記録保管所を調べさせた。件の勅令を書きつけた巻物は、メディアの都エクバタナで発見された。そこには、次のようなことが記されていた、━━
 キュロス王はその治世第1年、捕囚を解放して彼らの先祖の地への帰還を許した。重ねて、第一神殿の基礎を保ったまま第二神殿を建て、かつてバビロニア王が略奪した祭具類はエルサレムの神殿へ戻して元の場所へ置いて納めよ、と命じたことも記されていた。
 それゆえに、とダレイオス王は総督タテナイたちに命じた。エルサレムで新たに築かれている神殿の工事に干渉するな、と。むしろ、タテナイたちには、工事(作業)に手を貸すようにも命じた。更に工事費用については、ユーフラテス西方から上がる税収による国費で賄われる、とされた。
 ダレイオス王からの返事は、以下のような、何気に怖い文章で締め括られる。以下にそれを引く、━━
 「この定めに違反するものはだれであれ、自分の家から抜き取られた角材にはりつけにし、その家も廃墟とすることを、わたしは命ずる。この命令をあえて犯し、エルサレムにあるこの神殿を破壊しようとする王や国があれば、そこを御自分の名の住まいとされた神が、一人残らず滅ぼされるように。わたしダレイオスが、この命令を下す。命令どおり実行せよ。」(エズ6:11-12)

 エズ6:13-22〈神殿の完成〉
 ユーフラテス西方の総督タテナイとシェタル・ボゼナイ、その仲間たちによる援助と、「イスラエルの神の命令と、ペルシアの王キュロス、ダレイオス、アルタクセルクセスの命令によって」(エズ6:14)、預言者ハガイとゼカリヤに促されて進められてきた第二神殿の建築工事は、ダレイオス王の治世第6年、アダルの月の23日に完了した。
 「イスラエルの人々、祭司、レビ人、残りの捕囚の子らは、喜び祝いつつその神殿の奉献を行った。この神殿の奉献のために雄牛百頭、雄羊百二十匹、小羊四百匹をささげ、また全イスラエルのために贖罪の献げ物としてイスラエルの部族の数に従って雄山羊十二頭をささげた。」(エズ6:16-17)
 それから後、捕囚の子らは第1の月の14日に過越祭を行った。捕囚の地から帰って来たイスラエルの人々も、イスラエルの神なる主を尋ね求めて、その地の諸民族の汚れを離れてきた人々も、皆が過越のいけにえにあずかった。
 過越祭が終わると続けて、七日間にわたって除酵祭が、やはり喜び祝いつつ行われた。「主がアッシリアの王の心を彼らに向け、イスラエルの神の神殿を再建する工事を支援させて、彼らに喜びを与えられたからである。」(エズ6:22)

 宿願であった第二神殿の完成に湧く民の喜びが伝わってくるような、そんな章です。
 が、問題もやはり一つ。エズ6:14の引用箇所、なぜここでアルタクセルクセス王が登場するのか? 先にも指摘した記憶がありますが、ペルシア王の登場順序にこんな錯誤があるのはなぜなのか、それとも二重の名を持っていたのか、など疑問は尽きないのですね。ふむう……。



 村上春樹がいなかったら、と、騒々しい中華料理屋の片隅で考える。というのも事前に「頼むから静かにしてくれ」という短編を読んだからだ。作者は、レイモンド・カーヴァー。中央公論新社の翻訳ライブラリー『頼むから静かにしてくれ Ⅱ』に収録されている。
 村上春樹がいなかったら、『ノルウェイの森』も『1Q84』も読めなかったに相違ないが、それとほぼ同じ確率で、我らはカーヴァーの小説に親しむことはできなかった。この、幸福な巡り会い。二人が生きた時代と二人の小説家の感性に、感謝。◆

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