第0563日目 〈エズラ記第9章:〈異民族の娘との結婚〉&〈エズラの祈り〉〉 [エズラ記]

 エズラ記第9章です。

 エズ9:1-6〈異民族の娘との結婚〉
 或るとき、イスラエルの長たちがエズラの許を訪れた。彼らはいった、
 ━━かつてのカナン人やアモリ人がやっていたような異民族の娘との結婚を、あろう事かイスラエルの民もレビ人も祭司も、しかも官職に就く者たちが率先して行っています、と。
 「彼ら(イスラエル人)は自分のためにも息子たちのためにもこの地の住民の娘を嫁にし、聖なる種族はこの地の住民と混じり合うようになりました。」(エズ9:2)
 それを聞くと<わたし>エズラは悲しみ、呆然となった。事態を憂い、イスラエルの神、主の言葉を畏れる者たちが集まってきた。夕べの献げ物の刻に<わたし>はようやく身を起こし、跪き、我が神、主に祈り始めた。

 エズ9:6-15〈エズラの祈り〉
 「(捕囚となっていた我らに)わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、奴隷の身にありながらも、わずかに生きる力を授けてくださいました。
 (中略)
 (━━なのに━━)
 わたしたちは御命令に背いてしまったのです。」(エズ9:8,10)
 レビ18:24-28,申7:3-4にてモーセを通して神から授けられた命令━━イスラエルが聖なる民であり続けるための、異種交配の厳禁━━を、帰還した民は破ってしまった。
 太古に神がいったように、我らイスラエルは今度こそ滅びてしまうのか?
 「御覧ください。このような有様で御前に立ちえないのですが、罪深い者として、御前にぬかずいております。」(エズ9:15)

 エズ9:6は両方の小見出しにまたがっています。
 レビ記、申命記の該当箇所を読んで、ちら、と心を過ぎったことを思い出しました。このあたりって、20世紀の或る独裁者が唱えた主張と瓜二つでありませんか?
 信徒は逆上するかもしれない、一緒にするな、と。が、エズラの祈りと独裁者の主義をたまたま似通ってしまっただけでまったく別物だ、なんて、いったい誰が反証できますか?



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 同じ日、つまり今日(昨日ですか)、映画『のだめカンタービレ 最終楽章・後編』を観てきました。拙い感想は、「ネヘミヤ記」乃至は「エステル記」が終了したあと、ひっそりこっそり公開予定です。◆

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