第0580日目 〈エステル記第1章:〈クセルクセス王の酒宴〉&〈王妃ワシュティの退位〉〉 [エステル記]

 エステル記第1章です。

 エス1:1-9〈クセルクセス王の酒宴〉
 かつてネヘミヤがいたことで我らの記憶に残る要塞の町スサにてペルシア王に即位したクセルクセス(英訳名;アハシュエロス)はその治世第3年、ペルシアとメディアの軍人と高官、貴族らを招待客とした180日間にわたる酒宴を催し、そのあと7日間にわたって王宮の庭を舞台にスサに住まう者皆を身分の上下にかかわらず招いて歓待した。そこでは王室御用達のブドウ酒が惜しげもなく振る舞われたが、客は飲酒を強制されなかった。
 その頃、王妃ワシュティも女性のための酒宴を別会場で催していた。

 エス1:10-22〈王妃ワシュティの退位〉
 酒宴の7日目、王は王妃を召した。が、彼女は従わなかった。これは妻が夫に従わぬ先例を作って<家>を崩壊させる結果を招きかねぬ事態である。為にワシュティは退位させられ后の位は空位となり、以後その位は優れた女性に与える旨、ペルシアとメディアの国法に書き記された。
 王妃退位の勅令は勅書となってペルシア全土127州に発布された。勅書はいずれも届け先の言語で書かれていた。「すべての男子が自分の家の主人となり、自分の母国語で話せるようにとの計らいからであった。」(エス1:22)

 ペルシア王クセルクセス時代、帝国の領土は「インドからクシュに至るまで127州」(エス1:1)、即ち北インド・小アジアからエジプト、エチオピア(クシュ)にまで及んでいました。それを踏まえれば、勅書が各国語で書かれていた、という記述にも納得行くかと思います。
 エズラ記冒頭で祭司とレビ人を始めとしたユダヤ人が、ゼルバベルに率いられてエルサレムへ帰還しました。そのとき、ペルシア領内に残ったユダヤ人もまた多かった旨、触れておきました。エステル記に登場するユダヤ人は残留した側であり、ここで物語られるエピソードは残ることを選んだ彼らを見舞った危機でもあります。
 エステル記では、同時代のエルサレムについて触れることがありません。舞台はほぼ王宮内に限られ、登場人物もわずかです。外面的にも、また、タイトル・ロールの女性がユダヤ人の未来に大きく関与するという点では、かつてのルツ記と共通する部分が多いかもしれません。
 さりながら、まずは一個の物語として楽しみ、もっと深く読みこみたい人は聖書の研究所や解説書に進めばいいと思います。



 昨日、叔母が亡くなりました。現在の仕事が決まったことを、いちばん喜んでくれた人。
 明日明後日を安息日とするかはまだわかりません。◆

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