第0642日目 〈ヨブ記第21章:〈ヨブと三人の友の議論 二〉7/7〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第21章です。

 ヨブ21:1-34〈ヨブと三人の友の議論 二〉7/7
 ヨブは答えた、━━

 私の話を聞け、話をさせろ。然る後に嘲笑うがよい。
 私の話を聞け、話をさせろ。これを思うと慄然とし、身震いせずにはいられない。

 なぜ神に逆らう者がなんの罪もなく生き永らえるのか。
 彼は神を信じず祈らず、その道を知ろうともしない。なのに、彼は栄え、生を謳歌し、やすらかに死に迎えられる。
 神に逆らう者が、神の怒りの裁きを受けたことはあるのか。
 神はなぜ自分に背く者を放っておくのか。なぜ思い知らせてやらないのか。畜生め!

 「ある人は、死に至るまで不自由なく/安泰、平穏の一生を送る。/(中略)また、ある人は死に至るまで悩み嘆き/幸せを味わうこともない。/だが、どちらも塵に横たわれば/等しく、蛆に覆われるではないか。」(ヨブ21:23,25-25)
 「悪人が災いの日を免れ/怒りの日を逃れているのに/誰が面と向かってその歩んできた道を暴き/誰がその仕業を罰するだろうか。」(ヨブ21:30-31)

 友らよ、はっきりいおう。
 君たちの弁論は欺き以外のなにものでもない。



 昨日記したように、ヨブの怒り━━理不尽な不幸に対する嘆きと怒りは(前章と)本章で最頂点を迎えます。ここでは発言を慎みましょう。ひたすら、ヨブの言葉を嚙み締めるのみです。
 「ヨブ記」に於いてこのヨブ21程、ヴェルディ《レクイエム》の〈怒りの日〉が似つかわしい場面もないのではないしょうか。



 最近どうにもめげること多くて、力の出ないときがあります。「ま、今日はこんな日」と胆をくくってしまえれば楽なのですが、なかなかそうは問屋が卸しません。自分一人がこの状況だと、特につらい。
 そんなときは帰宅後、(旧約)聖書や海外小説に逃避するよりも、むしろ六代目圓生の噺に耳を傾けたり本を耽読するなりして、なんとか心の平衡を保っています。この方が、こんなときはしっくり来る。すんなり言葉と物語が自分のなかに入ってくる。まさに清涼剤。気持ちがちょっと治るのがわかります。
 週末からまたがんばろう。◆

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