第0645日目 〈ヨブ記第24章:〈ヨブと三人の友の議論 三〉3/6〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第24章です。

 ヨブ24:1-25〈ヨブと三人の友の議論 三〉3/6
 貧者は着るものさえままならず、身を寄せる家もなく、父なき乳飲み子は人質となる。貧者は富める者の下で使役させられ、しかし貧者がそれによって報われることはない。
 ━━神はそうした地上の惨状に、自分の心を留めたりしない。

 それに対して神に背く人々は安穏と日々を過ごす。
 殺人者は日中は弱者を殺めてまわり、夜ともなれば盗人へ生業を替える。姦淫者は黄昏刻に顔を隠して行動し始め、夜陰に乗じて家々を襲い非道を尽くす。
 「このような者には、朝が死の闇だ。/朝を破壊の死の闇と認めているのだ。」(ヨブ23:17)

※ヨブ24:18-25 新共同訳では台詞乃至引用を示す「」で括られている。当該箇所をナアマ人ツォファルの台詞とする論があるらしいが、本ブログ/ノートでは誰彼と特定せず、3人の内の誰かの台詞とのみ捉えることにした。
〔神の目に悪と映る行いをする人々は、この世から消え去るようにできている。彼の母の体も、陰府すらも、彼を忘れて思い出さない。
 権力を持った者もその人生は必ずしも栄光に満たされたものではない。やがては、麦の穂を刈るように容易く倒されてしまうのだ。〕

 (ヨブ)
 「だが、そうなってはいないのだから/誰が、わたしをうそつきと呼び/わたしの言葉をむなしいものと/断じることができようか。」(ヨブ24:25)



 神の強大な力の前にあろうと、永久の闇が眼前に広がっていようと、自分は正しく潔白である。そんなヨブの再度の意思表明が窺える章です。
 ここまで来ると、自分の正しさと正当性を信じて疑わぬヨブの心の強さと怯まぬ姿勢に、一種の感嘆をすら覚えてしまいます。この態度のブレなさ、立派です。



 いままで読んでこなかった古典を読破したい。魂が健全である内に。
 『ガリア戦記』(カエサル)と『ローマ帝国興亡史』(ギボン)、(『論語』と『大學』を除く)四書五経。上記の諸書はなかでも「これだけは!」というべき作。
 聖書が終わったら上掲書の読書ブログを書きたいです。そんな野望、もとい、希望。◆

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