第0660日目 〈ヨブ記第38章:〈主なる神の言葉〉1/5〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第38章です。

 ヨブ38:1-41〈主なる神の言葉〉1/5
 吹きすさぶ砂嵐の中から、主なる神がヨブにいった、━━
 無知蒙昧の者よ、言葉を無駄に連ねて何事をいうか。ならば答えよ。

 わたしがこの世界を創世したその日のことを、お前が知るのか。先の言葉が真実なら覚えているはずだ。さあ、答えよ。
 朝に命令し、曙に指示をしたことがあるなら、そういえ。朝陽に、神へ逆らう者をことごとく払い落とせ、と命じることが、お前にできるのか。
 お前は海の源を訪ね、深淵の底を行き、死の闇の門を見たことがあるのか。勿論、できているはずだ、お前は創世の日から生きているのだからな。

 災いや戦争があったときに備えてわたしが蓄えている、雪や霰の倉へ足を踏みこんだことがあるか。
 光が射すのはどの方向か。東風の吹く道はどこにあるか。乾いた大地を潤す雨が通り、青草が生えるようにするのは、いったい誰の業か。
 天体の法則を知り、それを支配し地上へ及ぼすのは、お前の役割ではない。



 主なる神は有限の命を持つヨブに、決して答えられない質問を立て続けに投げかける。まるで嘲笑うかのように。岩波版旧約聖書では一部を指して「神のジョーク」と註を加える(「諸書」P421)が、当該箇所も含めてジョークという言葉で済ますことは到底できない。言葉の意味と用途を誤った、極めて乱暴な処置といえよう。
 ところでヨブ38:39-41は、動物界の神の支配について語る次章に回した方が自然なように映るのですが、これを古今東西の研究者や教会、聖書刊行会を含めたキリスト者たちはなんの疑問に思ったりしていないのでしょうか? この点を知る方あれば、ご教示願いたく存じます。
 さて。今日のヨブ38。何度も挫折し、目をしょぼつかせ、書いたノートを幾度も消している内、消しゴムが1/2程に減って紙面がざらつき、頭の片隅で<本日おやすみ>のお詫び文のスケッチを始めたぐらい、追い詰められて認めたノートであります。ブログとしてこれまで通りに公開しますが、せめてこの章だけは、意に満つものでないだけに折を見て訂正の筆を加える予定でおります。



 みなとみらいで花火大会。押し寄せるのはいいが、いるのはレジャーでこの港町にやってきた諸君ばかりでない、と理解せよ。よく考えて行動をお願いしたい。分別を持ってくれ!◆

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