第0664日目 〈ヨブ記第42章:〈主なる神の言葉〉5/5&〈結び〉〉 [ヨブ記]

 ヨブ記第42章です。

 ヨブ42:1-6〈主なる神の言葉〉5/5
 ここに至って遂にヨブは己の過ちを認めた。全能者に抗い、その御旨を妨げること能はず、神を軽んじその御業をあげつらっていた、と悟ったのである。
 「しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。/それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。」(ヨブ42:5-6)

 ヨブ42:7-17〈結び〉
 次に神は、遠方より来たる3人の友(代表してテマン人エリファズ)へ怒った。
 ヨブはわたし、主なる神について正しいことを語ったが、お前たちはそうではなかった。ヨブは自分の正しいところを信じてわたしについて語った。が、お前たちは自分の説得材料としてわたしを利用しただけだ。しかし、お前たちが自分のためにいけにえをヨブにささげれば、ヨブはそれを受け入れてお前たちのために祈るだろう。わたしはその祈りを受け入れる。
 テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルはいわれた通りにした。ヨブは友だちのために祈った。主なる神は祈りを受け入れた。
 主はヨブの境遇を回復し、家畜を始めとする財産はすべて倍にした。縁者が集い、ヨブをいたわり、慰めた。ヨブには7人の息子と3人の娘が新たに生まれ、彼らは父ヨブの財産をそれぞれ相続した。
 「ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。」(ヨブ42:16-17)



 いちばんの疑問は「エリフはどこへ行ったのか?」でありましょう。が、もはやそれは取るに足らぬ疑問なのかもしれません。彼が何人であろうとも、肝心なのは、終局に至ってヨブが悔い改めた、という事実。そういえば「自分のためのいけにえをささげる」なんて文言は久しぶりに目にしたような気がいたします。
 最後、ヨブは再び以前と同じ数の子供に恵まれました。以前と異なるのは新たに生まれた子供たちが財産の分け前を受けた(財産を相続した)、という点にありましょう。主なる神はヨブにのみならず、災いの後に生まれた7人の息子と3人の娘にも祝福を与えたのでありました。おまけに娘たちは名前まで明らかになっています。
 「ヨブ記」は何次かの編集が施されている、と仄聞します。どの過程で<結び>の内容が今日読むように確定されたか知りませんけれど、編集後期に子供たちのことが加えられたとすれば、ヨブの系譜に繋がる(とされた)人々が自分たちの存在を正当化する保険であったのかもしれません。無論、これは単なる一読者の邪推でしかありませんので、どうか目くじらお立てにならぬよう、くれぐれご注意お願い申し上げます。
 でもこの類のことは、洋の東西を問わず繰り返し行われてきたことでもありました。ヨブらが実在か否かは別として、「ヨブ記」の編集作業中に斯様な改変がされていたとしても、決してふしぎではありません。当時の編集者たちが「そうすべき」と判断したなら、それは必定といえる作業であったわけですから、後代のわれらが喧しく言う必要はないでしょう。歴史は良くも悪くも改竄されるし、史書やそれに準ずる書物はその影響を被ります。その点を忘れてはならない。現代のわれらが為すべきは、上辺(うわべ)に惑わされず、虚飾を廃して、可能な限り真実に近いその時代の姿を探ってゆくことなのですから。
 が、これはもはや研究者たちの領域でもありますから、わたくしはいまの饒舌を慎み、静かに綺麗に、「ヨブ記」読書ノートの幕を閉じたいと思います。「詩編」ノートにて再たお会いしましょう。



 HDDに保存されたままの『くまのプーさん:クリストファー・ロビンを探せ』を観ました。プーがどれだけクリストファー・ロビンを想い、好きでたまらないかを知りたいなら、是非この作品をご覧ください。プーが歌う「どこにいるの?」には思わず、ほろり、とさせられました。あの少年が大好きなんだね、プーくま! でも同じぐらい彼も君が好きなんだ!!
 実(ゲ)ニ落涙ヲ禁ジ得ズ、件ノくまノ情(ココロ)ニ中テラレ、彼ノ御方ヲ想フテ袖ヲ濡ラス也。◆

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