第0823日目 〈詩編第121篇:〈目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。〉&いつまでも、心に残る映画がありますか?〉 [詩編]

 詩編第121篇です。

 詩121:1-8〈目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。〉
 題詞は「都に上る歌。」

 主は自分の民の誰彼にであっても、その陰に共に在り、いつでも「あなた」を見守ってくれている。━━そんな風に神の庇護を謳うのは、それだけ巡礼の旅路が艱難辛苦に満ちていたせいかもしれない。
 第一節「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ」は、巡礼者/団の前途に横たわる困難を暗に語るか、それとも、エルサレムを頂く丘陵を眼前にして彼(ら)の胸中に飛来した様々な思いが塗りこめられているのか。おそらくは両方だろう。が、殊更にエルサレム巡礼の型枠にはめこまずともよい。いまの世にあっても、信徒個人個人の人生の局面で歌われ、唱えられても一向構わぬはずだから。むしろ、その方が今日的である。
 ……と、ここで話は横道にそれるのだが、確かこの第一節は太宰治がなにかの小説でエピグラフに引いていたように思う。いま新潮文庫全冊を鋭意調査中だが、見出すことが幸いにして出来たなら再(ま)たここで改めてご報告しよう。
 それはさておき。
 読んでいて詩121は、非常に心根のすなおな詩編である、と感じた。こんな凛とした小さな作物へふとした拍子に触れることが出来るのも、読書の大きな、そうしてささやかな喜び、といえるだろう。

 「どうか、主があなたを助けて/足がよろめかないようにし/まどろむことなく見守ってくださるように。/見よ、イスラエルを見守る方は/まどろむことなく、眠ることもない。」(詩121:3-4)

 「主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を救ってくださるように。/あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。/今も、そしてとこしえに。」(詩121:7-8)



 心のなかにいつまでも残り続ける、特別な位置を占める映画がありますか? そんな作品を持つ人は、とてもしあわせです。さんさんかの場合、10代の頃から観ていまに至るもなおフェイヴァリット、といえる映画は、それ程多くありませんが数作あります。
 タイトルなんて恥ずかしくて申せませんが、ちょっとだけいえば、ロビン・ウィリアムス主演の『いまを生きる』とヘンリー・フォンダ主演の『黄昏』。覚えている人、知っている人、いるのかな?
 この2作を初めて観たとき、これ程泣かせる映画があったのか、と思いましたね。いずれもほろ苦くて、地味な作品だけれど、まだ感受性がいま程鈍っていなかった時分にこうした名作に触れられたことは、一生の財産になりました。いつまでも心のなかにあり続け、陰のように添い遂げてくれる、大切な映画。こんな作品があるのは、われながら本当にしあわせだ、と思います。
 たぶん、いまのぼくが睡眠時間を削ってまでも未だに映画館(シネコンか、いまは)に通ったり、レンタル店で映画のDVD(稀にVHSだったり)を借りてくるのは、いつの日か心の底から感動させられ、紅涙を絞らされ、いつまでも記憶に残らされるような、強烈なパンチを持った映画と出会えることを期待しているからだと思います。
 そういえば、最近DVDで観た映画でジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の『静かなる男』は雰囲気があってなかなか良かったですよ。といっても、西部劇ではありませんがね。その内、このブログで感想を書きます(あれ、最近このパターン多い? 逃げを打っているわけではないのだが……)。
 チャオ!◆

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