第0829日目 〈詩編第127篇:〈主ご自身が建ててくださるのでなければ〉&逢えないってつらいよね。〉 [詩編]

 詩編第127篇です。

 詩127:1-5〈主ご自身が建ててくださるのでなければ〉
 題詞は「都に上る歌。ソロモンの詩。」

 何事も主の存在なくしては空しい、という意味合いであろう。詩72と共にソロモン詩篇であるが、内容や表現はむしろ「箴言」に近しいものに思う。
 第一節「家を建てる」はソロモンゆえに神殿造営と落成を示そうが、他に個人宅の建築以外にも国家建設/運営を暗喩するとも考えられまいか。
 後半は国家を支える民の子、専ら男子の繁栄について説く。若くして男児を得、矢筒いっぱいに等しい兄弟を拵えられた親を寿ぐのだ。が、結婚した男女が必ずしも子供を授かり得るわけではない。子宝に恵まれず、隣家から漏れ聞こえてくる子供の声を羨むよりない夫婦を、いったい主はどう恵み、慈しむのか。求めても得られぬ苦しみと哀しみを、現代の読者はゆめ忘れるな。
 詩127の後半は次の詩128につながる。併せての読書を願う次第だ。
 ━━何十回読んでもこの詩はいただけない。本詩をソロモン作とした上での発言だが、どうも彼に詩心というべきはなく、その才は詩篇の作成に向かなかったようである。だからこそ、「箴言」という実人生の支えとなるメッセージを残し得た、と考えるべきなのか……?
 

 「朝早く置き、夜遅く休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことではないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから」(詩127:2)



 逢いたいひとに逢えない、というのはつらいですよね。あきらめよう、と思うても想いは水を得た草木の如くグングンと伸びてゆく。際限なく成長してゆくこれは、一体どこまで行ったら天井を知るのだろう。想いは無限ループの罠にはまって抜け出せそうにない。ねぇ、あなたとぼくの目が合うことはないの? 欲しいのはあなただけなのに。
 今日のブログで取り挙げた詩127は明日の詩篇と併せて、ぼくにとって心に深く突き刺さってきた作です。あなたに一緒にいてほしい、そんなささやかな願いすら叶わぬ身に、斯様な結婚と子孫繁栄を寿ぐ詩篇は、鑑賞する以前に絶望と羨望が先に立つのですね。ゆえにノートもちょっとおかしなテイストを帯びてくる。ご容赦を乞う。
 だけど、あのひとと出逢ってどれぐらいの歳月が経ち、逢えなくなってどれだけの月日が流れたのだろう? ふしぎだ、いまこうしているときでも、想いが沈静する気配なんてないし、いつの日かの再会とそれをきっかけとした発展を強く確信しているのだから。━━いたたまれないね!
 今日はイーグルスのベスト盤と『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』他を借りてきました。◆

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