第0831日目 〈詩編第129篇:〈イスラエルは言うがよい。〉&ターリヒ=チェコ・フィル《わが祖国》を聴きました。〉 [詩編]

 詩編第129篇です。

 詩129:1-8〈イスラエルは言うがよい。〉
 題詞は「都に上る歌。」

 シオンを憎む敵を殲滅し、誰からも顧みられないようにしてほしい。それを願う詩である。
 しかし、どうも内容が散漫だな、と思えてならぬ。前半(第1-3節)と後半(第4-8節)で分裂しているのだ。正直、何度読んでも印象に乏しく、生彩を欠く、との感想は覆せそうにない。それ以外に感想の、また疑問の言葉もないのだ。でも、下に引いた詩句は問答無用で優れている。これを読むたび、前3節が無駄に思えてくるんですよね……。
 ……もしかするとこれは、新共同訳をテキストとしているためかもしれない。実は新共同訳と(ときどき参考に覗いている)新改訳とでは、前半と後半の区切り方が違うのである。新改訳では第4節までを前半とし、第5節から後半とする。そちらの方が、良い。言い訳めくが、それが本音である。これから新共同訳で読まれる方、第3節と第4節の間にでっかく線引きしてしまいなさい。

 「シオンを憎む者よ、皆恥を受けて退け。/抜かれる前に枯れる屋根の草のようになれ。/刈り入れても手を満たすことのないように。/穂を束ねてもふところを満たすことはないように。/傍らを通る者が/『主はあなたがたを祝福される。/わたしたちも主の御名によって/あなたがたを祝福する』と言わないように。」(詩129:5-8)



 村上春樹『1Q84』のお陰でヤナーチェク《シンフォニエッタ》が売れたけれど、今年は同じチェコの作曲家、スメタナにスポットがあたればいい、と願っている。
 というのも、オーパス蔵のセール品のリストにあった、ターリヒ=チェコ・フィルによるスメタナの代表曲《わが祖国》全曲(1929年録音)を購入、傾聴したからに他ならない。SP原盤のゆえに針音はするが、これは先達て書いたように馴れれば気にならぬだろう。なにより大事なのは、針音の向こうに広がる力と叙情に満ちた音楽の世界である。
 ターリヒは生涯に3度、《わが祖国》の録音を行ったけれど、この1929年の録音が、瑞々しさと集中力という点では優っているように思う。むろん、様々な点で後年の録音の方が有利になる部分があるのは致し方ない。が、それでもここに聴かれる、思わず耳を傾けさせられる、しなやかさとまろやかさを絶妙にブレンドしたチェコ・フィル伝統の響きが詰まった本盤を、いの一番に取って聴き耽っていたいのだ。
 逸話だが、カラヤンはターリヒの生演奏をもう一度聴けるなら片腕を失ってもいい、と語ったそうな。若き日のカラヤンに感銘を与え、後年に斯くいわしめたターリヒの至芸をこの際に確認してほしい。他にドヴォルザークの交響曲第6-8番(オーパス蔵)、バッハのピアノ協奏曲第1番(独奏;リヒテル)、チャイコフスキーの交響曲第6番(以上2点、スプラフォン)などがある。◆

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