第0833日目 〈詩編第131篇:〈主よ、わたしの心は驕ってません。〉&カザルス《無伴奏チェロ組曲》を聴いています。〉 [詩編]

 詩編第131篇です。

 詩131:1-3〈主よ、わたしの心は驕ってません。〉
 題詞は「都に上る歌。」

 ダビデ詩篇としては特に敬虔な詩である。驕らず、誇らず、昂ぶらず。身の程を知って、過ぎたることは望まない、それは主への背反にもつながるから━━。
 まるで<驕れる者は久しからず>を伝える諫めの詩のようにさえ受け取れる。そういえば、『論語』に「足ることを知って足る者は常に足る」というのがあった(気がする。違ったっけ?)。それさえ連想させまいか。
 或る程度の歳月と経験を蓄えた人生の持ち主には共感してもらえるように思う。

 「わたしは魂を沈黙させます。/わたしの魂を、幼子のように/母の胸にいる幼子のようにします。」(詩131:2)



 カザルスのチェロは雄弁である。斯くも力と情をこめた、魂の最奥にまで訴えかけてくる演奏もあったのだなぁ。久しぶりに引っ張り出したが、永遠のマスターピースとして大切にしたいですね。失礼、バッハ《無伴奏チェロ組曲》を聴いての独り言であります。
 《フーガ》ト短調BWV.578(org),《マタイ受難曲》BWV.244,ヴァイオリン協奏曲第1番BWV.1041。そこに今回の《無伴奏チェロ組曲》を加えて、わたくしの特に鍾愛するバッハ作品が揃います。
 その《無伴奏チェロ組曲》を初めて聴いたのはチャバ・オンツァイ(NAXOS)のCD。爾来、いろいろなチェロ奏者のCD/LPや演奏会を聴いて、様々なスタイルの演奏を知りました。そんなこんなでだんだん深みにはまっていったのでした。
 では、カザルスを聴いたのはいったいいつ頃だったろう。ヒストリカル録音に興味を持つようになってからだから、21世紀になるかならないか、という時分かな。
 カザルス弾く《無伴奏チェロ組曲》は幾多のレーベルが━━フルトヴェングラーに於けるウラニアの<エロイカ>同様━━復刻盤を出してきたけれど、いま聴いている【オーパス蔵】の音はちょっと高音部がきついかな、という印象がある。その分、チェロの音色がハンパなく生々しく、艶っぽく、圧倒的な存在感を放ちながら迫ってくるわけだ。
 でも、復刻作業はとても丁寧にされているようで、帯にある惹句でないがSPの溝にはどれだけ凄い音が刻みこまれていたか、流石にわたくしでも理解できた。カザルスの本気が迸っている。初めて聴いたときは慄然としましたね。思わず居住まいを正しました。この《無伴奏チェロ組曲》が長きに渡って聴かれてきたのは、演奏にカザルスの情熱がはっきり刻印されているからでもあるのでしょうね、多分。個人的には第6番が好きだ。
 録音が古いからとて闇雲に敬遠なさらず、この《無伴奏チェロ組曲》を聴いてみてください。それからカザルスの他の音盤を聴いてみると、発見があって愉しいと思います。◆

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