第0837日目 〈詩編第135篇:〈ハレルヤ。〉&掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第1回〉 [詩編]

 詩編第135篇です。

 詩135:1-21〈ハレルヤ。〉
 題詞なし。

 歴史回顧を交えた感謝の詩篇で、岩波版『詩篇』解説では次の詩と併せて<大ハレル詩篇>と括る(P443)。主の御名をほめ讃え、主の御名を記念せよ、という内容であるからだろう。
 天地の営みと嗣業の民の導きを讃える詩はこれまで幾つも出てきたが、それらと同様、詩135についてもこれというべき<核>を欠いていて、正直なんとも感想の言葉もない、というのが本音だ。が、こういう詩はむしろ、こんな風に淡泊であっていいのかもしれない。合間合間に挟みこまれる主を讃美する言葉によって、神の御旨、神の御業がより強調され、、会衆の心にじんわり、じんわり、と染みこんでゆくであろうからだ。
 そう考えると、単純に、主が行う自然営為の讃美と主が導き来たった歴史の回顧というだけの詩、とは言い切れないのかもしれない。とは雖も、なんとも言葉を捻り出すのに苦心惨憺する詩篇であった、というのは動かし難い事実。それは、次の詩136も同様である。

 「主はヤコブを御自分のために選び/イスラエルを御自分の宝とされた。/わたしは確かに知った/主は大いなる方/わたしたちの主は、どの神にもまさって大いなる方。」(詩135:4-5)

 「主よ、御名は永久に/主よ、御名の記念は代々に。/主はご自身の民の裁きを行い/僕らを力づけられる。」(詩135:13-14)



掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第1回
 相変わらず、わびしい毎日を送っております。
 わたくしは、と或る電器部品の卸会社で働いています。職種は営業でして、毎日、町工場やメーカーに出向いて商品の売り込み、契約の取り付けを行っております。もう10年以上この仕事をしていますが、最近は成績も芳しくなく、いつ解雇されてもふしぎではありません。会社の経営状態も良くないそうです。社長の恋人(男)がそう申していました。
 そんなわたくしの楽しみといえば、仕事帰りに馴染みのパブで黒ビールを2杯飲むぐらいです。あとは、そうですね、月に1回程度、知り合いのホステスが働くクラブに1時間ばかり寄るのが関の山です。小説も読みます。最近はフランス文学にハマっています。というのも、最近まで同僚だった画家志望の女の子がフランス文学に造詣が深く、実は彼女に惚れていたからなのであります。
 直接、面と向かって告白することは出来ませんでした。退職する日にプレゼントと一緒に手紙を渡しました。そのなかでしか、気持ちを伝えられなかったのです。臆病な男なのです。ちょっとの勇気すら、当時のわたくしは持てなかったのです。おーい、HALさん、わたくしのアルウェン、わたくしのイゾルデ、あなたはいま、どこでどうしているんだい?
 ときどき、会社の帰りなどにふっと、星が瞬くこの田舎町の夜空を見あげます。自分の臆病さ加減に呆れ、あったかもしれぬ未来を夢想して無聊を慰めます。灰色の自分の未来を見やって、いつまでいまの会社にいられるのか、と不安になり、もう齢40を迎えた自分がいまさら転職して雇ってくれる会社があるのか、と考えては深くて長い溜め息を洩らします。仕方ありません。
 虚栄心だけは一丁前のわたくしですが、希望はただ2つだけなのです。あの人に逢って今度は自分の口から想いを伝えること、どうにか生きていけるだけの収入がある働き口をこのまま持ち続けられたらいい、というだけです。相変わらず、独りのわびしい生活をしているわたくしには、こんなささやかな望みすら過ぎたる贅沢なのでしょうか。
 「この空しい人生の日々に/わたしはすべてを見極めた。/善人がその善ゆえに滅びることもあり/悪人がその悪ゆえに長らえることもある。/善人すぎるな、賢すぎるな/どうして滅びてよかろう。/悪事をすごすな、愚かすぎるな/どうして時も来ないのに死んでよかろう。」(コヘレトの言葉7:15-17)
 ━━安く購入して自分で手入れをしているコテージのポーチにいて、ぼんやりビールを飲んでいたら、携帯電話がブルブルと震えました。メールが到着したのでした。その相手というのが……。(…to be continued…)◆

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