第0839日目 〈詩編第137篇:〈バビロンの流れのほとりに座り〉&掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第3回〉 [詩編]

 詩編第137篇です。

 詩137:1-9〈バビロンの流れのほとりに座り〉
 題詞なし。

 文句なしに「詩編」所収の全篇の内、最も感動的な詩編である。一方で、最も有名な詩篇であるのも事実で、パレストリーナやドヴォルザーク、リスト、アルヴォ・ペルトなど、多くの音楽家がこれに付曲した。ドヴォルザークの場合、《聖書の歌》Op.99/B.115という歌曲集の第7曲に、この第137篇が収められている。県立図書館クラスになれば『ドヴォルザーク大全集』を収蔵する所もあるかもしれない。探してみて、あれば、一聴されてみては如何か。
 詩137はバビロン捕囚期に詠まれた。<望郷の詩篇>と一言では片付けられぬほどの激しい哀しみが、この詩の底には流れているように思う。囚われの地で主の民は嘲られ、蔑まれる。君らの歌をうたえ、と。が、それはできないのだ、捕囚の地で、そこに住まう民のために、われらの神のための歌をどうしてうたえようか。━━ここに、すべての哀しみの情が詰めこまれているように思うのだ。
 連行されてきたユダの民は、しかし斯様なことからおわかりになるように、異郷に在っても自分たちの神を信じて従い、その道から外れるようなことはなかった、かの地の民が崇める神を退けて。鋼のように固く、絹のようにやわらかな信仰は、捕囚を経験することでより強く、信念に満ちたものとなった。逆境のときに抱く信仰程、心をたくましくするものはない。それが哀しみに裏打ちされたものであるなら尚更だ。
 この哀切な調子の詩篇は、さりながら最後で一条の希望をもたらす。バビロンという破壊者を倒す存在が現れることを予告するのだ。これが、やがてバビロン王国を滅亡させるペルシア帝国の登場を指すのは、まずいうまでもあるまい。
 本稿を閉じる前に、読者諸兄よ、詩137が、おそらくは預言者エレミヤ-エゼキエルの時代の作物であろうことを指摘し、併せて、「歴代誌・下」36:15-21の読書をお願いしておく。

 「バビロンの流れのほとりに座り/シオンを思って、わたしたちは泣いた。」(詩137:1)



掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第3回
 その日、会社に戻ると、リストラされていました。正確にいうならば、例のMFD社━━北朝鮮の核開発に一役買っているらしい、とメイドがいっていました━━がわが社を吸収することとなり、従業員100名余のうち、8割近くの社員が解雇されることとなったのです。そのリストに自分の名前を見出すのは容易でした。
 珍しく定時で退社後、商店街の居酒屋へ行く連中と別れて、街灯がぽつん、ぽつん、とあるばかりの上り坂(いちおう、バス道路)を歩いていました。ウッドさん、と後ろから声をかけられたとき、わたくしは行く末について結論のなかなか出ない考え事をしていたのです。足を停めて振り返ると、管理部の石田さんが息を弾ませて小走りに駆け寄ってきました。彼も、リストラ対象として挙げられた人物でした。
 「行かなかったんですね、ウッドさんらしい」
 「誘われたんですけれどね。石田さんはてっきり……」
 そこまで飲んべえじゃありませんよ、と苦笑いしながら、石田さんは頭を振りました。そうしてからやっと、そういえば一昨年の秋に入院したんだよな、と思い出して、すみません、と謝りました。
 「いや、いいんですよ。でも、急でしたね。まったく噂もなかったのに」
 「事前にそれらしい気配があるものなんでしょうけれど……」わたくしはそういって、まだ半分ほどある坂道を見やりました。なんだか人の一生みたいだな、そんな風に思ったのを覚えています。「リストラなんて初めてだから、どうにも実感が湧かないですね」
 「ウッドさんは独身ですよね、まだ?」と石田さん。「あれ、結婚してましたっけ?」
 今度はわたくしが苦笑いをする番でした。実は30歳になろうという頃、縁談がありました。当時の営業部長のご令嬢でなかなかの器量良しだったのですが、こちらには病弱とはいえ交際中の女性がいましたので、出世と昇級を犠牲にしてお断りいたしました。解雇は免れたものの、部長の怒りと陰湿ないじめは避けられませんでした。そんな部長もそれから一年と経たぬうちに胃潰瘍で倒れ、退職を余儀なくされました。
 ああ、そんなことがあったんですか。石田さんはぽつり、と呟いて、頷きました。「私がこの会社に来たのは、じゃあ、その直後だったんですね」
 そうだったかもしれません。
 あれ、そういえば、と思い至りました。「石田さんはご結婚されていますよね。確か、息子さんが夏休みに倉庫のアルバイトに来られていた?」
 「そうです。あれも来年、大学を卒業ですよ」
 「他にお子さんは?」
 「いません」と石田さんがか細い声でいいました。「女房がね、息子を産んだあとはもう駄目な体になってしまって」
 でも、石田さんの御子息からは育ちの良さが感じられました。昨年の夏休みに倉庫の棚卸しで一緒したことがありますけれど、そのときのハキハキした様子にはまぶしささえ覚えたものです。きっと石田さんと奥さんがきちんと育てたのだろうな。それを伝えたときの石田さんのはにかんだ様が、いまでも思い出されます。
 そうこうするうちに、坂を登り切った場所にあるバス停へ着きました。石田さんはここからバス、わたくしはまだもうちょっと歩きです。バスを待っているのは、石田さんを含めて3人だけ。時刻表を見ると、到着予定時刻はもう過ぎています。それをいうと彼は笑って、そんなのしょっちゅうですよ大抵3,4分遅れてくるんです、と教えてくれました。
 ほら、見てごらんなさい。
 石田さんが指さした方、つまりわたくしが歩いていく方向を見ると、宵闇のなかからバスがのっそりと姿を現しました。大寒を過ぎたばかりの街の闇に浮かぶ車内からもれる灯りは、どういうわけだか、子供の頃に浮世絵で見た狐の嫁入りを思い出させました。さすがにそんなこと、石田さんには━━というより、誰にであっても話すのは憚られます。というのも、この街が他ならぬ狐の嫁入り伝承の色濃く残る場所だからです。
 「今度、一杯やりましょう。約束ですよ?」
 「約束を守るのが営業の唯一の美点です」
 笑いあって、別れました。その場を去るのがなんだか名残惜しくて、わたくしは石田さんが乗ったバスの去ってゆくのを、視界から消えるまでずっと見送っていました。寒さに頬や耳が冷たくなり、髪の毛が固くなってくるまで、厚着しているにもかかわらず全身がひんやりしてくるまで、その場に立ち呆けていました。
 携帯電話がどれだけの時間、鳴っていたのかわかりません。かじかむ手でコートの内ポケットから苦労して出すと、液晶画面にはメイドの名前と写メが表示されていました。昨夜のメールで、明日の晩(つまり今夜)泊めてほしい、と強請(ねだ)られていたのをすっかり忘れていました。さっき、喫茶店を出るときに念押しされていたにもかかわらず、です。断っておきますが、色恋が絡む話ではありません(少なくともこのときは、そう信じて疑いませんでした)。
 しまった。舌打ち序でに口のなかでそう呟くと、通話ボタンを押して受話口を耳にあてました。……いますぐ帰ります。鍵の場所を教えるから、入っていてください。「あと、暖房付けておいて━━」
 「当たり前でしょ!」
 すこぶる怒り気味な調子でメイド。電話はがちゃり、と切られました。明日、隠し場所を変えよう。そんなことを考えながら、帰途を急ぎました。
 雲が重く垂れこめ、いまにも雪が降り出しそうな空でした。(…to be continued…)◆

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