第0840日目 〈詩編第138篇:〈わたしは心を尽くして感謝し〉&掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第4回〉 [詩編]

 詩編第138篇です。

 詩138:1-8〈わたしは心を尽くして感謝し〉
 題詞は「ダビデの詩。」

 これまで読んできたなかで、ダビデの信仰が、いちばん純粋な形で結晶した詩篇に思う。
 苦境にあって主の言葉に導かれた者がささげる感謝。イスラエルの神への信仰は、諸国へ広く、あまねく浸透するだろう、という確信。それが、詩138の柱である。「呼び求めるわたしに答え/あなたは魂に力を与え/解き放ってくださいました」(詩138:3)という詩句に、そのあたりの感情が余すところなく盛りこまれているのではないか。わたくしは、そう考える。
 ただ、ダビデ詩篇にしては━━ダビデ作として━━引っかかる言もある。第2節「聖なる神殿に向かって」云々というのがそれだ。ご承知のように、ダビデの御代に神殿は存在していない。造営の準備が進んでいる、というだけの話だ。そう考えると、この神殿とは、神の箱が安置された幕屋をいうのか。或いは━━ダビデを作者と仮託した後世の作物?
 斯様に些細な疑問はあっても、この詩138、なかなかどうして、大して優れた詩篇である。哀しみの詩篇であった詩137のあとにこうした力強い詩があるのは、ずいぶんと気持ちの良いものだ。改めて「詩編」の奥深さを実感させられた次第である。

 「わたしが苦難の中を歩いているときにも/敵の怒りに遭っているときにも/わたしに命を得させてください。/御手を遣わし、右の御手でお救いください。」(詩138:7)



掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第4回
 帰宅して大急ぎで作った檸檬ソースのパスタを口へ運ぶメイドを見ていたら、胸のずっと奥の方がぬくもってゆくのを感じたのです。わたくしはふだん、なんと物侘びしい生活をしていることでしょう。誰かと一緒に食卓を囲む、というのが、斯くも気持ちを充足させてくれるものであったことを、すっかり忘れてしまっていたようです。
 だからこそ、
 「料理、上手だねぇ。知らなかったよ」
なんていうメイドの何気ない一言が、わたくしの心に触れて新しい感情をかき立てたのも、いまにして思うとまったくふしぎでありませんでした。
 「こんな美味しいパスタを食べたのなんて、久しぶりだなぁ」
 社交辞令とわかっていてもうれしいものです。わたくしは弾む声を抑えられぬまま、「独り暮らしが長いから。履歴書に<趣味・料理>って書いたこともあるよ」
 ふんふん、と頷きながら、「転職先が見附からなかったら、うちの喫茶店で働きなよぉ」とメイド。
 「料理人として? なら、調理師免許をがんばって取ることにするよ」
 メイドがこちらを見て、「本気でいってるんだけど?」と不服そうにいいました。
 「あ、そう……じゃあ、そのときはよろしくね」
 ウィ・ムッシュゥ、と頷いて、再びパスタを食べ始めるその表情には、得も言われぬ幸福感が貼りついていました。これを至福の表情といわず、なんというべきなのでしょう。
 すっかり空っぽになった皿を差し出されました。お代わりを、というのです。が、残念ながらそれは用意していません。そう伝えると、うなだれた。かと思えば、すぐに手を伸ばしてわたくしの皿から堂々と、フォーク一巻き分のパスタをかっさらってゆく。
 可愛いな、と思いました。この子と結婚できる人は、きっとどれだけ貧乏していたりしても毎日を笑って過ごせるんだろうな、と羨ましくなり、一方で、まだ現れぬ彼女の結婚相手を想像して嫉妬の感情もわずかながら覚えたのは、否定できません。
 ━━家庭を持っていたら。そんな夢想を弄ぶわたくしを、メイドの一言が現実へ引き戻してくれました。「ねえ、このパスタのソース、どうやって作ったの?」
 試行錯誤の末のレシピなのでここには記しませんが、特別に彼女には教えておきました。こうしておけば、もし万が一わたくしの身になにかがあっても、彼女の店でこの檸檬ソースは生き続けてゆくことになるのですから。どうしても知りたい向きがあれば、彼女のいる喫茶店を探し当てて、檸檬ソースのパスタを注文してみてください。
 ━━「いやぁ、食べた、食べた。ごちそうさま、ウッド氏。たいへん満足したぞ」とメイドがいいました。「今度は私がなにか作ってあげよう━━こう見えてもいちおう、調理師免許は持っているんだからね」
 昼間、喫茶店に入るや見せたあの、ぶふふ、という笑顔(っぽいもの)を浮かべる彼女に、思わず「小悪魔」といってやりたい衝動に駆られたけれど、思い留まりました。ごちそうさま、と椅子から立って、わたくしの横を通り過ぎて食器を運んでゆく彼女の横顔に、一瞬間とはいえ、似合わぬ影が射しているのを認めたからです。
 その影の理由については、あとでわかりました。でもそのときのわたくしにはそれについてあれこれ考えるよりも、、誰かと一緒にプライヴェートな食事をした、という数年ぶりに経験した喜びの方が、ずっと優っていたのです。まったく、非道い話であります。
 洗い物を終えてリビングへ戻ると、メイドは座卓の上に広げたままの原書(アメリカの作家が書いた郷土小説、ということでした)に目を落としていました。でも、読んでいるのでない、というのはすぐにわかりました。ただ、目を落としていただけなのです。
 なんだか落ちこんでいるような、悩みを抱えているような、そんな雰囲気です。先程の明るい彼女とは打って変わった様子が引っかかりました。
 わたくしは斜め前に坐って、そっと訊ねました。「なにかあったの?」
 しばし無言、やがて彼女が小さく顔をあげました。垂れた前髪から透けて見える瞳が濡れているように見えました。しかし、それはわたくしの気のせいであったかも知れません。(…to be continued…)◆

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