第0844日目 〈詩編第142篇:〈声をあげ、主に向かって叫び〉&掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第8回(終)〉 [詩編]

 詩編第142篇です。

 詩142:1-8〈声をあげ、主に向かって叫び〉
 題詞は「マスキール。ダビデの詩。ダビデが洞穴にいたとき。祈り」

 過去に読んできたと同様、ダビデ伝承に基づいた詩篇の一つ。並行箇所はサム上22:1,サウル王に追われたダビデがアドラムに潜んだ挿話である。
 窮地へ追いこまれて魂は萎え、頼る相手もない者が、主に救いと憐れみを乞うて叫ぶ。生き長らえて、無事に主の御名へ感謝することができますように、と。
 彼(ら)にとって主は唯一の救い手、唯一の頼り手なのだ。

 「主に従う人がわたしを冠としますように。/あなたがわたしに報いてくださいますように。」(詩142:8)



掌編小説「人生は斯くの如し(ヘンリー・キングの詩より)」第8回(終)
 「こんな日に限って客が来る……」
 チャイム・ベルが来客を知らせました。メイドは一頻り涙を流したあと、顔を洗いに行っていましたが、その音を聞くと奥へ通じるドアから顔を覗かせて、いらっしゃいませ、と入ってきた学生3人に笑顔でお冷やを出しました。3人はどうやら野菜カレーを注文したようでした。
 そういえば今日のランチは野菜カレーである、と外の黒板にありました。わたくしもそれにすればよかったな、と反省しましたが、あとの祭りです。注文を聞いたときにメイドが少し眉間に皺を寄せた理由が、今更ながらわかりました。わたくしはオムライスを頼んんでしまったのでした!
 カウンターの向こう側でカレーを作りながら、メイドが鼻歌を歌っているのが聞こえてきます。店内の音楽に紛れてすぐにはわかりませんでしたが、それはわたくしにも聴き覚えのあるオペラのアリアだったのでした。<誰も眠ってはならぬ>、プッチーニ最後のオペラ《トゥーランドット》で王子カラフが朗々と歌いあげる愛の告白の歌でした。バロック音楽を背景にプッチーニとは、なんと面妖な組み合わせでしょうか。
 それでもわたくしは、これを聴きながら、少し安堵していたのです。最前まで留まることのないように泣きさんざめいていたメイドが、いまは鼻歌をハミングできるまでに気を取り直したように思えたからです。後年になってそれを伴侶へ問わず語りに話すと、まったくあなたは女をわかっていないねぇ、と蔑みの目で、憐れむような眼差しで、見下されたものですが。
 冒頭の台詞は、カレーを平らげて出て行った彼らを見送り、わたくしの後ろを通り過ぎ様に放った彼女の愚痴です。「こんな日に限って客が来る……」
 これからオムライス作るね。そう続けていうと、再びカウンターの向こうへ引っこみました。顔を伏せたまま、「自分が食べる分は自分で作ってほしいんだけどねぇ、ウッド氏の場合は」と、さらり、といわれると、本当にそうした方がいいのかな、と疑念に駆られ、思わず椅子から腰が浮きかけました。冗談に決まってるでしょ、と呆れたような視線が投げかけられなかったら、カウンターの向こうへ足を踏み入れていたかもしれません。
 「手料理、ご馳走するんじゃなかったな」
 苦笑混じりにせめてもの反撃を試みました。が、それは無言で流されました。完敗です。そもそも彼女に勝とう、という発想自体が悪かったかもしれません。<女性は男性の偉大な教育者である>(アナトール・フランス)といいますが、われわれはそれを地でゆく2人かもしれません。
 ねえ、とメイドが呼びかけました。ぼく? 他に誰かいたっけ? いや、いないな。店内を見廻してそう答えて、なに? と訊ねました。
 「ケチャップでなにか書いてほしい?」
 それはまさしく小悪魔の口調でした。任せておくと、ろくでもないメッセージや絵記号を書きかねません。いいや、とわたくしは断りました。「なにも書かなくていいよ。書かないでね」
 しかし、━━「もう遅いぃ」と返ってきたのは、まあ、想定内といってよいでしょう。
 運ばれてきたオムライスに書かれたメッセージ、否、日附、という方が正確でしょう、それの意味がどうにもわかり難く、「これはなに?」とぽかん、とした顔で脇に立つメイドを見あげました。
 ややあって、ごめんねウッド氏、と囁くような、やっと吐き出すような調子で、薄く開かれた唇の間から声が洩れました。これまでに見たことのない、思い詰めたような表情をしています。まだ少し赤い眼が、再び濡れてきていました。
 「この日附って……」まさか、と或る考えが閃きました。考えたくないことでした。「違うよね?」
 頷くことも頭を振ることもなく、うつろな眼差しでメイドは片手をカウンターに突いて、「その日にね、お店を閉めることにしたの」と、事情をかいつまんで話してくれました。
 「これまで来てくれて、ありがとうね。ウッド氏」
 ━━オムライスを食べ終えてもなお去り難かった。まだ1週間あると雖も、ひとたび席を立ったら、もう二度と彼女に逢えないような気がしてならなかったのです。「それこそ」とやっとの思いでわたくしは吐き出しました、「それこそ、なぜ昨夜いってくれなかったんだよ」と。
 言葉で答える代わり、でしょうか。背中からメイドが、包みこむようにわたくしをかき抱きました。亡き婚約者への、まだわずかに残ってこのまま陰府へ持ってゆくであろうと思っていた、わずかばかりに残った亡き婚約者への想いは、メイドの心のあたたかさと肌のぬくもりに取って代わられ、わたくしのなかから、すーっ、と消えてゆくのを感じました。でも、もうお別れなのでした……。
 それから1週間後に喫茶店は閉まり、商店街の人々と喫茶店の常連が集まって、お別れ会が催されました。わたくしも呼ばれていたのですが、取引先の上役に引きずり回されて行くこと叶いませんでした。でも、行かなくてよかった、と思っています。行けば淋しさは増すばかりで、たぶん、彼女の顔を面と向かって見ることはできなかったでしょうから。
 ━━慌ただしく1年が過ぎました。喫茶店だった場所は蕎麦屋になりました。主人がかつて管理部にいた石田さんなのには驚きました。会社にいた人間はみな、そうだったようです。残念なことに、開店の際に顔を出して以来、足を向けたことがありません。帰ってくる頃にはもう暖簾が仕舞われていますから。でも、石田さんと近くの居酒屋で一緒になることはよくあります。
 新しい職場にも馴染み、てくてくコテージへ帰ってくると、1階の電気が灯っていました。最近よくあるのですが、どこかしらの電気を点けたまま、ばたばた出勤することが多く、そろそろ玄関ドアの内側に、<電気全部消したか確認しろ>、なんて貼り紙でもしておこうか、と考えています。先月など電気代がふだんのほぼ倍にまでなった程です。幸い、今日は金曜日。明日、否、今夜にでも書いて貼ってしまいましょう。
 あれ、と思いました。鍵が開いているのです。これだけは間違いない、出勤するとき鍵はちゃんと掛けた。闇雲にドアを思い切り開いて、屋内へ足を一歩踏み入れる━━まるで海外ドラマの登場人物になったような気分でもありました。が、部屋にいる人物と目が合った途端、へなへな、とその場に坐りこんだのは、或る意味で当然のことだったでしょう。
 彼女が、そこにいました。1年前と変わらぬ童顔で、髪も肩にかかるかどうかぐらいの黒髪で、あの懐かしいメイド服も着ていました。おかえり、と片手をあげて、にっこりと出迎えてくれました。
 おかえり。そう小さな、震える声でいうと、わたくしは彼女を、正面から抱きしめました。抵抗にも躊躇いにも遭いませんでした。「逢えると信じていた」
 「ここにいて、いいよね?」もちろん、とわたくしは頷きました。よかった、と呟いて、彼女は私の背中へ腕を回し、体をより強くすり寄せてきました。「人生は斯くの如し、だよ。ウッド氏?」◆

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