第0848日目 〈詩編第146篇:〈ハレルヤ。〉&パーヴォ・ヤルヴィ=ドイツ・カンマー・フィルのベートーヴェンSym Nr.3,6-9[NHK-FM]〉 [詩編]

 詩編第146篇です。

 詩146:1-10〈ハレルヤ。〉
 題詞なし。詩146-150は〈小ハレルヤ詩集〉と称される。

 有限の命の人間に頼むなかれ、われらが依り頼むはただヤコブの神のみ。「いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人」(詩146:5)主は自分の民に慈愛の眼差しを手を以て臨み、抗う衆には怒りと戒めを以てその道をくつがえす━━ゆえにわれらは主に感謝し、主を讃えよう。ハレルヤ。
 「主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる」(詩146:8)なんて詩句に接すると、わたくしのような者でもなんだか救われた気分になる。それは一つの恩寵であり祝福である。「詩編」の━━聖書のメッセージは、宗教や思想、人種や文化の別なく訴えかける類のものが多い。だから、こんなわたくしの心をも打つのだ。

 「とこしえにまことを守られる主は/虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。」(詩146:6-7)



 パーヴォ・ヤルヴィ=ドイツ・カンマー・フィルのベートーヴェンを聴いた。NHK-FMの『サンデー・クラシック・ワイド』という番組。昨年2010年3-4月にポーランドのワルシャワで開かれた〈ベートーヴェン復活祭音楽祭〉でのライヴ録音、放送曲目は交響曲第3番〈英雄〉、第6番〈田園〉と第7番、第8番と第9番〈合唱〉の計5曲であった。
 第3番は第1楽章の前半を聴き逃してしまったけれど、どの曲も無駄な贅肉や脂肪を刮ぎ落とした筋肉質な演奏で、悪くないな、と思います。でも、それ以上の感想がどうにも持てないのですね。決してクリアな音質で聴いていたわけでないし、そのせいでか演奏そのものもくぐもっていたような気がしたのです。透明度が若干高い磨りガラスのような演奏、といえばよいでしょうか。もしどなたか録音していたら、ダビングしてお恵みを。
 瞬発力とスリムなスタイルがウリの、ヤルヴィのベートーヴェン。この演奏が良かった、と思う1曲を敢えて挙げれば、第7番かな。もともと躍動感に漲った曲だから、却ってヤルヴィの演奏スタイルに合致したのかもしれない。読書しながら放送を聴いていたのだが、第7番がかかっている間だけは集中できなくて困った。これだけでこの曲の演奏のテンションの高さ、緊張感と集中力が途切れることなく突き進む勢い、というのをご想像いただければ幸甚であります(無理か)。
 逆に第9番はフンドシのゆるい演奏だった。あまりに長閑(のどか)で、第2楽章の途中から第4楽章の途中まで眠ってしまった程。CDやDVDもこんな感じなのかなぁ。購入を検討しているのだけれど、二の足踏んじゃいますよ、これを聴くと。
 でも、貴重なライヴを聴くことができたことにじゅうぶん満足。FMっていいですよね。
 話は変わるが。重苦しい気分で床に入り、明日の訪れを不安いっぱいで待つ。明日の太陽が昇るのが怖い。ぼくは人附き合いも他人ウケも「良い」とは言い難いからな……。ああ、みんなと顔を合わせるのが怖くて不安でならない。◆

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