第0880日目 〈箴言第9章:〈知恵の勧め(四)〉、〈格言集(二)〉&〈愚かな女〉with近所にある高台の公園で(一行俳話)。〉 [箴言]

 箴言第9章です。

 箴9:1-6〈知恵の勧め(四)〉
 <知恵>は家を建て、食卓を整え、賤女の口を借りて、<分別>と縁なき者を呼びこむ。食卓に並べられたのは、パンと酒。彼らが浅はかさを捨て、分別の道を歩み、まことの命を得るための、パンと酒。

 箴9:7-12〈格言集(二)〉
 不遜な者を諭したり、神に逆らう者を諫めても、求める結果は得られない。却って憎まれ、侮られるだけだ。
 ならば、知恵ある者をあなたは叱り、諫めよ。それによって彼は自分の知恵を増し、自分の言葉に説得力が増すのを知り、それゆえにあなたを愛すだろう。命ある日々も増え、その年月もまた同様に。
 「あなたに知恵があるなら、それはあなたのもの。/不遜であるなら、その咎は独りで負うのだ。」(箴9:12)

 箴9:13-18〈愚かな女〉
 はした女がいる、騒々しいばかりで無知な、しかし男心をくすぐり誘惑する術にだけは長けた愚かな女が。彼奴は自分の道をまっすぐに歩む人に声をかけ、自分の家へ立ち寄るよう甘い声で囁く。そうして、手練手管を弄して、足を停めた意志の弱い男を奈落へ導く。
 「そこに死霊がいることを知る者はない。/彼女に招かれたものは深い陰府に落ちる。」(箴9:18)

 ○〈格言集(二)〉を読んでいて、ああ、これはなんとなく思い当たる節があるな、と以前の職場で出会うた誰彼の顔が、あれやこれやの特定の場面が、記憶の奥底から浮かびあがってきて、また消えました。
 誰でもこんな経験、ありますよね。地域であれ学校であれ会社であれ、集団生活を営んで自分とは育った環境もなにもかもが異なる第三者と付き合う以上(そうしてそのなかにいて出逢った異性と最も個人的な関係を築く以上)、多少の齟齬は避けられません。そんな人間関係を如何に穏便に、波風立てず、嫌われることも誤解されることもなく、過ごすことができればいちばんいいのでしょうけれど……。しかし実はさんさんか、それにまつわる憂いが多く━━いやいや、戯け者の繰り言になるのでやめておきましょう。
 また、〈知恵の勧め(四)〉では<知恵>の呼びこみ役を担った女が、〈愚かな女〉で再び登場する。が、それは<知恵>に使われることもなく、それと出会うことなく、無軌道かつ自堕落に生きる女としての登場だ。どれだけの玉を内に秘めていても、良き導き手と出会わなければ<俗>から<聖>への昇華は難しい、と暗に物語っているようである。箴7にて具体的に語られたことについての最終的な助言が、最後の〈愚かな女〉でされます。



 高台の公園で故郷の街の臨海部を眺めた。心の騒ぐ春。◆

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