第0888日目 〈箴言第16章:〈人間は心構えをする。〉with芸能人のブログの訴求力について……でも、こっちだって負けないもん。〉 [箴言]

 箴言第16章です。

 箴16:1-33〈人間は心構えをする。〉
 正しい道を選び、歩む者は主に喜ばれ、祝福される。主に喜ばれる道を歩む人は主により敵と和解することが出来る。主を畏れれば悪を避けられる。
 王━━就中、上に立つ者の唇は正しいことを語り、裁きに於いても主により与えられた公正な天秤と袋の錘(おもり)石のゆえに誤ることはない。王の怒りは死の使い、それをなだめるのは知恵ある人、分別のある人(ex;ダビデ王と預言者ナタン。サム下11-12)。王の顔の輝きは命を輝かせる。
 知恵と分別を得ることは金銀を得るにも優る。心に知恵ある人は聡明な人であり、知恵ある言葉は他への説得力を増す。何事にも目覚めている人は恵みを得られる。
 また、ならず者は災いの炉であり、その口から出る言葉は燃えさかり、悪行を果たす。それによって友なる人をも惑わして、正しく歩んできた道を踏み外させる。
 正しい人の頭を飾る白髪は冠である。長き人生によって培われた忍耐は暴力にも優る。己が心を自制する力は、戦によって一つの街を占領するにも匹敵する。

 「正しい人の道は悪を避けて通っている。/魂を守る者はその道を守る。」(箴16:17)

 「貧しい人と共に心を低くしている方が/傲慢な者と分捕り品を分け合うよりよい。」(箴16:19)

 「人間の前途がまっすぐなようでも/果ては死への道となる。」(箴16:25)

 ○正しい人とそうでない者。それを分ける基準として<知恵>と<分別>がこれまで挙げられてきました。が、ここに至って思うのです、貧しい人々(弱者に分類される人々、支援を必要とする人々)とどれだけ歩を共にして心を添わせられるか、という点にこそ、その基準を求められるのではないか、と。それを示唆するのが引用した箴16:19である。
 悪の側にいる者は搾取する側にある者。むろんそう単純な話ではありませんが、概ねそう分類できると思います。いずれにせよ、彼らが貧なる者と共にいて彼らの心に添うて行動できるとは俄に想像しがたい。<貧しい人々>に歩調を合わせ、手を差し伸べ、共にいることを約束できるのは、いうなれば、神の目に正しいと映ることを、その道を踏み外すことなく歩く人々のみでありましょう。そんな風に、わたくしは考えるのであります。
 「人間は心構えをする」(箴16:1)……そう、そうなんですよね!



 (一部の)芸能人って凄いな、と思う。ブログの一言、ブログの更新が読者に勇気と希望を与える。確実にそのブログを読む人が何百人といるからこその訴求力だ。
 でも、一般人のブログだって、かの地にいる人たちの支えになることが出来る。そう信じて、わたくしはこのブログを毎日更新し続けます。◆

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