第0933日目 〈コヘレトの言葉第2章:〈わたしはこうつぶやいた。〉&今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンについて、一言だけ。〉 [コヘレトの言葉]

 コヘレトの言葉第2章です。

 コヘ2:1-26〈わたしはこうつぶやいた。〉
 そこでわたしコヘレトは、快楽に身を浸してみよう、と考えた。この世の愉悦にわが身を浸らせてみよう、と。それすら空しかった。
 多くの偉大なこと、讃仰されることを計画し、実行した。屋敷を構え、果樹園を開き、池を掘り、林に水を引いた。かつて王都エルサレムに住まった誰彼よりも富む者となった。
 どのような労苦にも厭わず取り組み、どのような快楽にも躊躇せず試してみた。わたしの心はどれも楽しんだ。が、なに一つとして益にはならなかった。いずれも空しく、風を追うに等しかった。
 ━━わたしの心は何事も知恵に拠ろうとするが、いまなお知恵はわたしのもとに留まっている。そこで今度はその知恵を、その狂気と愚かさを見極めてみよう、と考えた。が、なにもかもがわたしを苦しめ、すべてを空しく思わせた。
 賢者は愚者に優るが、時と場合によっては愚者が賢者に優る。「賢者の目はその頭に、愚者の歩みは闇に。/しかしわたしは知っている/両者に同じことが起こるのだということを。」(コヘ2:14)……ならば、より賢くなろうとしても徒労ではあるまいか?
 賢者であれ愚者であれ永遠に記憶されることなどない。やがてすべて消え去る。誰であろうと、身分の貴賤に関係なく、やがて誰もが消え去り、誰もが死に果てる。
 ━━太陽の下で得る徒労は楽しんだが、その結果は厭うばかりであった。労苦の結果、得たものを管理するのは、労苦に身を粉にしたわたしではない。汗水垂らして稼いで得たものを使うのはわたしではなく、それと何らの関わりも持たなかったわたしの跡を継ぐ者であるのだ。跡継ぎの側からすれば、大いなる遺産、といえようか。
 「まことに、人間が太陽の下で心の苦しみに耐え、労苦してみても何になろう。一生、人の務めは痛みと悩み。夜も心は安まらない。これまた、実に空しいことだ。」(コヘ2:22-23)

どんな快楽、それこそ酒池肉林の快楽に耽って欲望を果たしても、心は満たされない。逆に無益と虚無を覚えるばかり。これを知る人がどれだけいるでしょう。では、無益と虚無をそれと気付かず繰り返してゆき、あたら時間と精神を浪費し続けるばかりの人は?
 とてもやりたかったことなのに、いざそれが達成されてみると、不思議と心のなかにポッカリと穴が開いて、満たされないものを感じる。そうして、正体不明の<満たされない欲求>を抱えて彷徨う。職業に関係なく、そんな思いを抱いている人の実際なんと沢山いることでしょう。まるで砂漠の真ん中で泉を求める放浪者のように。みんな、さすらい人なのかもしれないですね。
 なお、ここで「労苦」とは、「労働」や「仕事」などの意味合いで用いました。



 今日の朝から開催されるLFJは規模を縮小、ホールCや読売会館など幾つかの会場でのみプログラムを消化する由。先日の新聞で告知されていました。日本が斯様な事態にあるなかで、開催中止にならなかっただけ奇跡というべきか。行く予定も特にないけれど、かつてLFJのスタッフであっただけにこの事態をちょっと深刻に受け止めています。幾ら規模が縮小されたからとて、登録スタッフだけで賄える規模でもないしね。
 でも、こうした逼塞した空気がこの国に垂れこめているからこそ、このイヴェントが例年以上の盛りあがって復興支援の一助となりますように。なによりも事件や事故など起こりませんように。そうして、すてきな恋が会場の片隅で生まれますように。ぼくは駄目でしたけれどね。でも、出逢えてよかったなぁ……。
 昔があるから現在がある。過去があるから未来がある。
 想い人たるあなたはまだ胸のなかで静かに留まり、鮮やかに生きている。それが真実。本当の気持ち。◆

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